一休という若い坊主が歩いていると、橋の前に人だかりができていた。
『このはし渡るべからず』
と書かれていた。
すると一休は橋を堂々と渡り始めた。
それを見ていた役人が注意をすると、一休は
「『端をわたるな』と書いてあったから真ん中を渡った」
と答えた。だが役人は
「そういう場合は『この橋の端を渡るな』と書くはず。
『このはし』と書かれているのなら、それは『この橋』という意味だ」
として一休を捕らえた。
一休は奉行所で同じ詭弁を繰り返したが
「社会通念上、橋の前に『このはし』と書かれていた場合は
『この橋』と理解するのが妥当である」
として一休の訴えを退けた。さらには
「橋が工事中であったにもかかわらず、
一休の詭弁によって大勢の人が渡り、その結果、橋が倒壊して数名が命を落とした」
と断罪し、一休に死罪を申し渡した。
一休は上級裁判所と連邦裁判所に上告し、いずれも棄却されたが、連邦裁判所は
「死罪は重すぎる」
として『永久追放』に減刑、その結果、一休はコロラド州から出て行くことになった。
城に呼ばれた一休は、殿様から
「この屏風の中の虎を引っ捕らえよ」
との命を受ける。
「かしこまりました」
と一休は鉢巻きとタスキがけをして、荒縄を手にして言った。
「では殿様、引っ捕らえますから虎を屏風から出してください」
殿様が
「あいわかった」
と答え、呪文を唱えると、虎が屏風の中から飛び出してきた。
すかさず一休は虎を取り押さえ、持っていた荒縄でぐるぐる巻きにして殿様に差し出した。
すると虎の目から大粒の涙がこぼれ、床にしたたり落ちた。
するとその涙は畳を溶かし、階下までしたたり落ちた。
あわてた家臣が階下に駆け下りると、その涙はその下の床まで溶かし、結局は1階まで床を溶かした。
そのことを報告しに家臣達が元の部屋に駆け戻ると、そこに殿様と一休の姿はなく、満足そうに横たわる虎だけがいた。
そしてその虎の腹は、先ほどと比べて2倍ほどに膨れていた。
さらに襖の閉まった奥の部屋からは、すすり泣くような一休の声と、殿様の荒い息づかいが聞こえてきた。
狼狽した家臣が思わず襖を開けると、そこでは美しい鶴が織物を織っていた。
鶴はこちらを振り返ると
「覗いてはなりませぬと申したでしょう。もうお別れです」
と言い、部屋にあった金目のものを風呂敷に包んで、窓から飛び立って月に帰って行ったが、月には空気が無かったので、コンビニで酸素缶を買い求めた。
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お前がカスなことが分かってないしwww
俺はお前なんかに釣られんぞ!
釣れた、というのは単純に言うと自慰行為により
絶頂に達したという事です。
この起源は17世紀のイギリスで、自慰などの行為が野蛮とされ
禁じられていたときに、隠語として広まったものです。
語源として有力な説は
”釣りをしている振りをして、釣竿を性器に擦り付けていた”
当時釣りが盛んでしたので、それを利用したのでしょうね。
魚がかかった時の振動により絶頂に達する事が多かったようですので
釣れたときに逝く、ということで釣れた、と。
参考「民明書房」
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
なにマジレスしてんだよ〜w
もうちょっとからかって遊べると思ったのに
台無しじゃないか〜orz
ちょwwwwwおまwwwwwっうぇwwww
あなたもあんまりですw
てか20年間男として生きてきたが、初めて知ったよ(汗
とりあえず乙


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