徳川四天王の一人、井伊直政の次男である井伊直孝の若き頃の逸話である。
直孝は父同様、その才覚を徳川家康に見込まれ、若くして周囲に一目置かれる存在となっていた。
政務に勤しむ直孝に、ある老臣が声をかけた。
「直孝、お主の様な若者が仕事に励んでいるのは嬉しい。わしたちも励みになる。
そなたを見込んで話すが、実は我々年寄り連中が集まり、二月(ふたつき)に一度、
合議をしておる。
どうだ、お主も来ないか?」
聞けば、参加する者たちは徳川家古参の、歴戦の武将達だった。
直孝に否やがあろうはずも無く、喜んで参加を希望した。
さて、その日がやって来た。
直孝にしてみれば、憧憬の的であった武将達が集まり、ざっくばらんに語り合っている贅沢な酒宴だ。
ある者は手柄を立てた時の話、ある者は戦の仕様を考証し、ある者は名高い武将と戦った時の思い出を語っている。
一つ一つの話に直孝は感銘を受けていた。
宴もたけなわとなった頃、大鍋が運ばれてきた。
鍋の中には、よく煮えた芋が入っていた。
皆が思い思いに椀に取り分け、黙々と食べはじめた。
芋の入った椀が直孝にも廻って来た。
一口食べた直孝は驚いた。
まったく味が無いのだ。
それどころか、まるで泥を食べたような土臭さであった。
思わず直孝は言った。
「申し訳ございませぬ。
この芋は、私には少々味が足りぬ様でございます。塩か醤油はございませぬか?」
すると老臣は箸を置き、直孝に向き直ってこう言った。
「実はお主を誘ったのは、この芋鍋を食べて欲しかったからじゃ。」
老臣は続けた。
「家康公の若き頃は、我らは毎日このような味も無い芋鍋を食べていた。
そして今も徳川家のために働いてくれる足軽達、田畑を耕す農民達の中には、
この芋鍋すら満足に食えぬ者もいる。
我らはその事を決して忘れぬよう、こうして集い、芋鍋を皆で食べているのだ。」
さらに老臣は続けた
「これからはお主のような若者が、徳川家の政事の中心となるであろう。
だからこそ、お主に伝えたかった。
我らの手柄や戦の仕様、ましてや、もうこの世におらぬ武将の話などでは無い。
この芋鍋の味を決して忘れてくれるなよ。」
直孝は芋をたいらげると、老臣達に深々と頭を下げ、言った。
「この味、生涯忘れませぬ。」
他の徳川四天王をはじめ、徳川創業の功臣の二代目が次々と冷遇粛清されていく中、直孝は幕府の信任厚く、彦根藩主そして大老と出世し、後に名君として歴史に名を残す事となる。
彼が名君となりえたのは、芋鍋の味を忘れなかったからかもしれない。
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の後にエロ広告を入れる神経は嫌いじゃない
「同僚の奥さんとやっちゃった。絶対内緒だけど、もうすごいのなんのって… 」
身につままれる。
この歴史の深さを知らぬとは・・・
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