彦根城の人柱
慶長八年(1603)、家康の命により築城の始まった彦根城。
工事は順調に進んだが、天守の築造にいたってとたんに進捗が滞った。
どうやっても上手く行かないのだ。
これに、工事関係者は
「人柱を用いるべきではないか?」
と、ささやき始めた。
この声は藩主、井伊直継にまで達したが、直継は
「人柱など立てても、工事が進むわけではない。人命を無駄にしてはならぬ。」
と、それを認めなかった。
しかし、工事は遅々として進まない。
責任者の普請奉行は、深く悩んだ。
自宅でも工事の事ばかり考えていた。
どうすればこれを打開できるか…
父の悩む姿に、その娘、お菊が、思いつめた顔で言った
「父上様、私を人柱にしてください!」
唖然とする父、そして母。
だがお菊は言う、
「父上はいつもおっしゃっているではないですか、
殿様がお困りの時は、命を捨ててご奉公しなければならない、と。」
「だが、それは…」
「今こそわたくしが、殿様のお役に立てるときではございませんか。
そのために投げ出す命なら、本望でございます!」
娘に説得され、翌日普請奉行は直継にこれを進言した。
「なんと…」
直継はしばらく考え、言った
「お主の娘の忠心、感じ入った。このとおり、礼を申す。」
主君であるにもかかわらず、直継は普請奉行に深々と頭を下げた。
お菊は、人柱となることになった。
数日後、白装束に着替えたお菊は、白木の箱に入り、埋められた。
「殿様のお役に立ってまいります。」
それが最後の言葉だった。
普請奉行は、娘が埋められるところを見ることが出来なかったと言う。
お菊の埋められた数日後、天守は無事、天守代にすえられた。
工事は成功した。
直継から、普請奉行の元に書状が届いた。
お前達には、この工事の事で特に礼を言いたいので、内儀と一緒に屋敷に来て欲しい、と。
夫婦二人、御前にまかり出た。
平伏していると、直継が入ってきた。
「顔を上げよ」
視線を上に上げると
「あっ!」
「父上様!母上様!」
お菊がいた。
「わしはな」
仰天している普請奉行夫婦に、直継は言う
「最初から、人柱などするつもりはなかったのじゃ。だが工事の者達はもはや、
人柱をしないと納得できないようであった。だからお主の娘を埋めると見せかけ、
こっそり空の箱と取り替えたのだ。みな、人柱があったと思い、
おかげで工事は順調に進んだ。黙っていてすまなかった。礼を申す。」
普請奉行は涙を止める事ができず、ただただ体を震わせながら平伏していた、と言う。
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でも結局なんで工事が進まなかったんだろうか?
>7
解説頼む。
間の悪い時って続いたりするからじゃないの?
事故が重なって疑心暗鬼になって、呪われてるんじゃ? なんて思ってた人が事故に遭う。
偶然かもしれないけど、2度3度と繰り返すと噂が広まって注意力散漫になり、結果的に回避できた事も回避できなくなるような。
上に立つ人は、人の心を読まなけりゃなんという訳か…・
人柱を建てなきゃ、うまく行くはずがない!
なんて、文句垂れながら工事したら、ミス多発等が頷ける。
お前が人柱になればよかったのに……
それは私の菊だ…っ ん…
思い込み。現代で言えば集団マインドコントロールってところか?
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