…昔々、第二次世界大戦の頃、Mさんというインド人の若者がいました。
Mさんは、インド国民軍に参加し、日本軍の新藤(仮)という軍人の下で訓練を受けたそうです。
新藤氏は、日本人にしては色が黒く目鼻立ちが濃かったせいで、日本兵の間で
「インド人に似ているから、お前のあだ名はインドさんだ!」
とおもしろがって呼ばれていたそうです。
また、Mさんたちからも、そのあだ名と、名前の発音がインドの古称である「シンド」と似ているため、「シンドさん、シンドさん」と親しみを込めて呼ばれるようになったそうです。
新藤氏の訓練は厳しく、Mさんたちインドの兵士を怒鳴りつけたり鉄拳制裁を加えたりするのも日常茶飯事だったそうです。
しかし、訓練が終わると、日本の歌やインドの歌を一緒に歌ったり、言葉を教えあったり、時には特別配給されたお菓子を分けてくれたりと、日本人、インド人を問わず、兵士たちの誰からも尊敬され、愛される上官だったそうです。
そして、訓練も終わり、インパール作戦への開始。
その時、Mさんたちは新藤氏の部下(?)として、作戦に参加することになったそうです。
激戦の中、新藤氏の部隊は、強力なイギリス軍の陣地を攻めるため、本隊から大きく迂回してジャングルの中を進み、イギリス軍の背後を突くように、という命令を与えられました。
しかし、攻撃前にイギリス軍に発見され、ほぼ全滅するほどの被害を受けたそうです。
気づけば、Mさんの周囲で生き残ったのは、同世代の若いインド兵がわずか5名。
みんな恐怖で逃げ散ったためにかろうじて生き残った者ばかりだったそうです。
イギリス軍に見つかれば殺される、と怯えるMさんたちの元に、片腕を失った新藤氏が合流し
「作戦は失敗した、本隊と合流しよう」
と告げたのだそうです。
ですが、武器も食糧も水もろくになく、本隊がどこにいるのかもわからず、しかも敵兵がうようよいる中では、夜中にしか移動できません。そんな中でも、重傷の新藤氏は怯えるMさんたちを励まし、杖代わりの小銃にすがって山中をさまよったそうです。
※インド人部隊が日本軍の中に編入されたのか、作戦の都合上新藤氏の部隊と行動を共にしただけなのかは、確認とれていません。識者な諸兄のご指摘をお待ちしております。
数日後、食糧も水も尽き、新藤氏の病状も悪化し、いよいよもうダメだ、とMさんが覚悟した時。
最悪なことに10人ほどのイギリス軍の小部隊が近づいてくるのを発見します。
新藤氏は、Mさんたちにこう告げます。
「私は、この怪我ではまもなく死ぬ。
だが、諸君はなんとしても生き延びて、インドの独立のために戦いなさい」
うなずくMさんたちを地面に伏せさせ、その上に土や落ち葉をかぶせた後、新藤氏は
「ガンバレ!」
と叫ぶと、弾の尽きた小銃だけを手に、イギリス軍に向かって駆け出します。
しかし、何歩も行かないうちに、イギリス軍の機関銃に頭を撃たれ、鉄兜をはね飛ばされ、その場に倒れます。
それでも、新藤氏は跳ね起き、小銃を構えてイギリス兵に襲いかかり、銃剣で3人を刺し殺したそうです。
なおも片手で血まみれの銃を振り回す新藤氏に恐れをなしたイギリス兵は、武器や荷物を放り出し、悲鳴を上げて逃げ去っていったそうです。
イギリス人が逃げ去って始めて、新藤氏はその場にばったりと倒れます。
敵兵が去った後、新藤氏に駆け寄ったMさんたちが見たのは、最初の機関銃の弾で頭を撃ち抜かれたためか、頭が半分無くなってしまった新藤氏の変わり果てた姿でした。
Mさんたちは、新藤氏の遺体を囲んで泣き、日本人がこんなに勇敢に戦ったのに、私たちは怯えて見ているだけだった。
情けない。
これからは勇敢に戦い、新藤氏が願ったように、生き延びてインドのために命がけで働こう、と誓ったそうです。
そして、新藤氏の遺品である銃やお守りを手に、イギリス軍の残していった武器や食料をみんなで分け合い、その場を離れます。
新藤氏の死から、10日以上も山中をさまよった後、一行は小さな集落にたどり着き、その住民に助けてもらってようやく日本軍(当初属していた本隊ではない部隊)と合流できたのだそうです。
形見のお守りは合流した日本軍の士官に渡したそうですから、おそらく遺族の元に戻ったことでしょう。
そうそう、士官が確認のために開けた時、中には小さな木の板と、折りたたんだ写真…
新藤氏が奥さんの隣で、小さな女の子を抱いて微笑んでいる写真…が入っていたそうです。
小さなお子さんのためにも、なんとしても日本に帰りたかっただろうに、命がけで自分たちを守ってくれた新藤氏の勇気に、Mさんたちは再び声を上げて泣いたそうです。
そして、終戦。
最後までMさんたちの面倒を見てくれた日本軍の士官は
「私たちと一緒にいると、イギリス軍に捕まってしまうから、身分を隠して故郷に帰りなさい」
といって、わずかながらお金や食料、衣服などを分け与えてくれたそうです。
そして、
「インド独立の約束を果たせなくてすまない」
と涙を流して頭を下げたそうです。
戦争の後、故郷に帰ったMさんたちは協力し合い、新藤氏の最後の言葉「ガンバレ!」を合い言葉に、インドの独立と発展のために必死で働いたそうです。そして、Mさんは軍人として大成し、仲間たちもお互いに力を合わせて、政治家や実業家、学者として同様に成功を修めたそうです。
そう。
Mさんは、Sさんたちの一族の人、Sさんの大叔父さんにあたる人だったのです。
この話は、子供の頃からSさんたち兄妹が繰り返し繰り返し聞かされてきた物語なのだそうです。
Sさんが初めてこの話を聞いた時には、5人のうち、Mさんともう1人しか生き残っていなかったそうですが、その2人から、日本人がいなかったら、自分たちはきっとまだイギリス人の奴隷だったこと。
そして、アジアを解放するために戦ってくれた日本人の勇敢さが自分たちを目覚めさせてくれたこと。
そして、恩人の新藤氏は、今も自分たちを守ってくれていることを教えてくれたそうです。
そして、この話と一緒に教えてもらったのが、新藤氏が大好きで、みんなといつも歌っていた「愛国行進曲」だったのだそうです。
※Sさんが歌った軍歌は「愛国行進曲」でしたよ。
以上、今回は完全に韓国人と無関係の、Sさんから聞いたインドのお話でした。
個人的に深く感動しましたが、私にはこの話は、遠い昔のおとぎ話としか感じられませんでした。
勇敢で、高潔で、誰からも好かれた日本人。
そんな日本人は今どこかにいるのだろうか。
そして、今の私は(同時に、私たち日本人は)、Mさんや、その意志を受け継いだSさんたちの好意と敬意に応えられるだけの存在なんだろうか。
そんなことばかり考えてしまいました。
でも、ほんの60年前。
私の両親や祖父母の時代に、この国には確かにそんな立派な人間がいたという事実は、私にとって小さな誇りと、負けないように自分も頑張らないと、という目標を与えてくれたような気がします。
最後に。
今回の話は、もともとが古い時代の聞き語り。
話した本人も、聞き覚えた人々も幼い頃の記憶に頼っていますし、歴史や軍事に詳しい訳でもありません。
また、この話をまとめた私自身も第二次大戦に関する知識に乏しいので、戦史に詳しい方から見れば首をかしげるような部分もあるかも知れません。
その点をご理解頂ければ幸いです。
そうそう、この話にはちょっとオカルチック(?)な余談があります。
新藤氏が死んでMさんたちが山中をさまよっている時のこと。
疲労で見張りを立てる余裕もなく眠ってしまった5人全員の夢の中、新藤氏が出てきて
「敵襲!」
と叫んだそうです。
そして、はっとして目覚め、跳ね起きて藪の中に身を潜めたMさんたちのすぐ近くを、イギリス兵の偵察部隊が通り過ぎていったそうです。
その後も何度か、Mさんたちの夢に新藤氏が現れて、敵が近くにいることを教えてくれたそうです。
Mさんたちは、死んで霊になった新藤氏が自分たちを守ってくれていると信じ、夢の警告に従って、ひとりの死者を出すことなく生き延びることができたのだそうです。
しかも、戦後の独立運動の間も、その後の軍務の中でも、新藤氏は何度もMさんたちの夢に現れ、様々な危険を教えてくれたそうです。
…霊のお告げ、ってのは「Mさんたちの、疲労状態でも極限まで緊張しきった神経が、敵兵の近づくのに気づき、無意識のうちに便りにしていた新藤氏の姿を借りて警告を発した」合理的に考えることも出来ますが、やっぱり、これだけは、死者の魂が最後まで守っていてくれた、という説明の方がしっくりするような気がします。
さて、以上、インド人の知り合いから聞いた、昔々の英雄端でございました。
しかし、訓練が終わると、日本の歌やインドの歌を一緒に歌ったり、言葉を教えあったり、時には特別配給されたお菓子を分けてくれたりと、日本人、インド人を問わず、兵士たちの誰からも尊敬され、愛される上官だったそうです。
そして、訓練も終わり、インパール作戦への開始。
その時、Mさんたちは新藤氏の部下(?)として、作戦に参加することになったそうです。
激戦の中、新藤氏の部隊は、強力なイギリス軍の陣地を攻めるため、本隊から大きく迂回してジャングルの中を進み、イギリス軍の背後を突くように、という命令を与えられました。
しかし、攻撃前にイギリス軍に発見され、ほぼ全滅するほどの被害を受けたそうです。
気づけば、Mさんの周囲で生き残ったのは、同世代の若いインド兵がわずか5名。
みんな恐怖で逃げ散ったためにかろうじて生き残った者ばかりだったそうです。
イギリス軍に見つかれば殺される、と怯えるMさんたちの元に、片腕を失った新藤氏が合流し
「作戦は失敗した、本隊と合流しよう」
と告げたのだそうです。
ですが、武器も食糧も水もろくになく、本隊がどこにいるのかもわからず、しかも敵兵がうようよいる中では、夜中にしか移動できません。そんな中でも、重傷の新藤氏は怯えるMさんたちを励まし、杖代わりの小銃にすがって山中をさまよったそうです。
※インド人部隊が日本軍の中に編入されたのか、作戦の都合上新藤氏の部隊と行動を共にしただけなのかは、確認とれていません。識者な諸兄のご指摘をお待ちしております。
数日後、食糧も水も尽き、新藤氏の病状も悪化し、いよいよもうダメだ、とMさんが覚悟した時。
最悪なことに10人ほどのイギリス軍の小部隊が近づいてくるのを発見します。
新藤氏は、Mさんたちにこう告げます。
「私は、この怪我ではまもなく死ぬ。
だが、諸君はなんとしても生き延びて、インドの独立のために戦いなさい」
うなずくMさんたちを地面に伏せさせ、その上に土や落ち葉をかぶせた後、新藤氏は
「ガンバレ!」
と叫ぶと、弾の尽きた小銃だけを手に、イギリス軍に向かって駆け出します。
しかし、何歩も行かないうちに、イギリス軍の機関銃に頭を撃たれ、鉄兜をはね飛ばされ、その場に倒れます。
それでも、新藤氏は跳ね起き、小銃を構えてイギリス兵に襲いかかり、銃剣で3人を刺し殺したそうです。
なおも片手で血まみれの銃を振り回す新藤氏に恐れをなしたイギリス兵は、武器や荷物を放り出し、悲鳴を上げて逃げ去っていったそうです。
イギリス人が逃げ去って始めて、新藤氏はその場にばったりと倒れます。
敵兵が去った後、新藤氏に駆け寄ったMさんたちが見たのは、最初の機関銃の弾で頭を撃ち抜かれたためか、頭が半分無くなってしまった新藤氏の変わり果てた姿でした。
Mさんたちは、新藤氏の遺体を囲んで泣き、日本人がこんなに勇敢に戦ったのに、私たちは怯えて見ているだけだった。
情けない。
これからは勇敢に戦い、新藤氏が願ったように、生き延びてインドのために命がけで働こう、と誓ったそうです。
そして、新藤氏の遺品である銃やお守りを手に、イギリス軍の残していった武器や食料をみんなで分け合い、その場を離れます。
新藤氏の死から、10日以上も山中をさまよった後、一行は小さな集落にたどり着き、その住民に助けてもらってようやく日本軍(当初属していた本隊ではない部隊)と合流できたのだそうです。
形見のお守りは合流した日本軍の士官に渡したそうですから、おそらく遺族の元に戻ったことでしょう。
そうそう、士官が確認のために開けた時、中には小さな木の板と、折りたたんだ写真…
新藤氏が奥さんの隣で、小さな女の子を抱いて微笑んでいる写真…が入っていたそうです。
小さなお子さんのためにも、なんとしても日本に帰りたかっただろうに、命がけで自分たちを守ってくれた新藤氏の勇気に、Mさんたちは再び声を上げて泣いたそうです。
そして、終戦。
最後までMさんたちの面倒を見てくれた日本軍の士官は
「私たちと一緒にいると、イギリス軍に捕まってしまうから、身分を隠して故郷に帰りなさい」
といって、わずかながらお金や食料、衣服などを分け与えてくれたそうです。
そして、
「インド独立の約束を果たせなくてすまない」
と涙を流して頭を下げたそうです。
戦争の後、故郷に帰ったMさんたちは協力し合い、新藤氏の最後の言葉「ガンバレ!」を合い言葉に、インドの独立と発展のために必死で働いたそうです。そして、Mさんは軍人として大成し、仲間たちもお互いに力を合わせて、政治家や実業家、学者として同様に成功を修めたそうです。
そう。
Mさんは、Sさんたちの一族の人、Sさんの大叔父さんにあたる人だったのです。
この話は、子供の頃からSさんたち兄妹が繰り返し繰り返し聞かされてきた物語なのだそうです。
Sさんが初めてこの話を聞いた時には、5人のうち、Mさんともう1人しか生き残っていなかったそうですが、その2人から、日本人がいなかったら、自分たちはきっとまだイギリス人の奴隷だったこと。
そして、アジアを解放するために戦ってくれた日本人の勇敢さが自分たちを目覚めさせてくれたこと。
そして、恩人の新藤氏は、今も自分たちを守ってくれていることを教えてくれたそうです。
そして、この話と一緒に教えてもらったのが、新藤氏が大好きで、みんなといつも歌っていた「愛国行進曲」だったのだそうです。
※Sさんが歌った軍歌は「愛国行進曲」でしたよ。
以上、今回は完全に韓国人と無関係の、Sさんから聞いたインドのお話でした。
個人的に深く感動しましたが、私にはこの話は、遠い昔のおとぎ話としか感じられませんでした。
勇敢で、高潔で、誰からも好かれた日本人。
そんな日本人は今どこかにいるのだろうか。
そして、今の私は(同時に、私たち日本人は)、Mさんや、その意志を受け継いだSさんたちの好意と敬意に応えられるだけの存在なんだろうか。
そんなことばかり考えてしまいました。
でも、ほんの60年前。
私の両親や祖父母の時代に、この国には確かにそんな立派な人間がいたという事実は、私にとって小さな誇りと、負けないように自分も頑張らないと、という目標を与えてくれたような気がします。
最後に。
今回の話は、もともとが古い時代の聞き語り。
話した本人も、聞き覚えた人々も幼い頃の記憶に頼っていますし、歴史や軍事に詳しい訳でもありません。
また、この話をまとめた私自身も第二次大戦に関する知識に乏しいので、戦史に詳しい方から見れば首をかしげるような部分もあるかも知れません。
その点をご理解頂ければ幸いです。
そうそう、この話にはちょっとオカルチック(?)な余談があります。
新藤氏が死んでMさんたちが山中をさまよっている時のこと。
疲労で見張りを立てる余裕もなく眠ってしまった5人全員の夢の中、新藤氏が出てきて
「敵襲!」
と叫んだそうです。
そして、はっとして目覚め、跳ね起きて藪の中に身を潜めたMさんたちのすぐ近くを、イギリス兵の偵察部隊が通り過ぎていったそうです。
その後も何度か、Mさんたちの夢に新藤氏が現れて、敵が近くにいることを教えてくれたそうです。
Mさんたちは、死んで霊になった新藤氏が自分たちを守ってくれていると信じ、夢の警告に従って、ひとりの死者を出すことなく生き延びることができたのだそうです。
しかも、戦後の独立運動の間も、その後の軍務の中でも、新藤氏は何度もMさんたちの夢に現れ、様々な危険を教えてくれたそうです。
…霊のお告げ、ってのは「Mさんたちの、疲労状態でも極限まで緊張しきった神経が、敵兵の近づくのに気づき、無意識のうちに便りにしていた新藤氏の姿を借りて警告を発した」合理的に考えることも出来ますが、やっぱり、これだけは、死者の魂が最後まで守っていてくれた、という説明の方がしっくりするような気がします。
さて、以上、インド人の知り合いから聞いた、昔々の英雄端でございました。
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1 . 名無しさん ID:z4siyzcG0 : 編集:削除
いい話だ
勇敢にして高潔なる英霊に最敬礼を
切り取ったお話なのかな?
そう。そうそう。の部分が引っ掛かるし2回目はいらっとする。
良い話に喧嘩売るようで何なんだけど、良い話なのか微妙になってくる。
そう。そうそう。の部分が引っ掛かるし2回目はいらっとする。
良い話に喧嘩売るようで何なんだけど、良い話なのか微妙になってくる。
すごい人だな新藤さん(´;ω;`)
親日の所とは末永くつきあっていきたいね!
関係ないが隣のかの国はこの世から消え去って欲しい・・・・
親日の所とは末永くつきあっていきたいね!
関係ないが隣のかの国はこの世から消え去って欲しい・・・・
何度読んでも胸に来る
「創作」と言う輩は居ないようだな。
居ない方がいいが
居ない方がいいが
ここせっかくいい話多いのに、一番目立つとこにセックル写真のバナー貼ってあるのが残念。
特にこの手の高潔なる先達の話を語る場としてはね。。。
特にこの手の高潔なる先達の話を語る場としてはね。。。
作り話かもしれんが胸にきたわあ。
最後の最後での誤字が惜しい。
英雄「譚」な。
英雄「譚」な。
元の話はハングル板の韓国人と仕事で困ったことスレだね。
文中のSさんはインドの財閥の御曹司、で書き込み主と居酒屋に行ったときに
インド方面に従軍していた店主とSさんが意気投合して軍歌を歌った。
なんで歌えるんだろうかと背景を聞いたらこんなお話が有りましたよ、
という流れだったか。
文中のSさんはインドの財閥の御曹司、で書き込み主と居酒屋に行ったときに
インド方面に従軍していた店主とSさんが意気投合して軍歌を歌った。
なんで歌えるんだろうかと背景を聞いたらこんなお話が有りましたよ、
という流れだったか。
インド人もビックリ!
歴史に詳しくないけど、大切なのは先人が残してくれた今をどうしていくかということ
よし、今日の晩飯はカレーに決定。
※10解説乙
急にSさん出てきて困惑したわ
急にSさん出てきて困惑したわ
そうそうSさんって何?
端じゃなくて譚ではないか?
こんな話で感動できるなんてお手軽でいいね
>17
今まで(今も)左翼と在日が捏造してまで、日本の誹謗中傷を繰り返している
から仕方ない、、テレビ、新聞、学校教育、これが全部ウソや歪曲に満ち溢れてたんだから。
で、実際東南アジアに仕事や旅行で訪れたら、親日の人が多くてビックリする人が
大勢でてきたってこと。
今まで(今も)左翼と在日が捏造してまで、日本の誹謗中傷を繰り返している
から仕方ない、、テレビ、新聞、学校教育、これが全部ウソや歪曲に満ち溢れてたんだから。
で、実際東南アジアに仕事や旅行で訪れたら、親日の人が多くてビックリする人が
大勢でてきたってこと。
頭を半分・・・いや、何も言うまい。事後の話なのだろう。
美しい国、日本!
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