大谷吉継は、今で言うハンセン病をわずらっていた。
毛が抜け、肉が崩れ、容姿が化け物じみてくるので、現代では医療の発達により重症化することは少ないが、近代までは強烈な差別の対象だった。
千利休主催の茶会の折、回し飲みする茶碗の中に不覚にも吉継は鼻水を垂らしてしまった。
他の同席者は恐れをなして押し黙ったままだ。
そんな中、三成はその茶碗を何事もなかったかのように飲み干した。
吉継は、この時に三成に命を捧げる決心をし、関が原の合戦では不利を承知で三成側に参戦して戦死した。
他の同席者は恐れをなして押し黙ったままだ。
そんな中、三成はその茶碗を何事もなかったかのように飲み干した。
吉継は、この時に三成に命を捧げる決心をし、関が原の合戦では不利を承知で三成側に参戦して戦死した。
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1 . いやあ ID:.3b8UouPO : 編集:削除
策士だな
本文は正しいのに、記事タイトルが「光成」な件。小学校で習う人名・・・・・・。
「押し黙ったまま」ではイマイチ意味がわからない。「飲む振りだけした」と何故書かない。
鼻水じゃなくて膿。
さらに、創作された逸話の可能性が高い。(秀吉との間にも同じようなエピソードがある)
「押し黙ったまま」ではイマイチ意味がわからない。「飲む振りだけした」と何故書かない。
鼻水じゃなくて膿。
さらに、創作された逸話の可能性が高い。(秀吉との間にも同じようなエピソードがある)
これ、ホストは利休じゃなくて秀吉じゃなかったか?
だから茶を飲むのは嫌だし、かといって残すわけにもいかずみんな困ってたら
三成が「喉が渇いて我慢できぬ」とか言って順番を飛ばして飲み干した上で茶碗をわざと落っことして
替えの茶碗でのおかわりを所望したって話。
だから茶を飲むのは嫌だし、かといって残すわけにもいかずみんな困ってたら
三成が「喉が渇いて我慢できぬ」とか言って順番を飛ばして飲み干した上で茶碗をわざと落っことして
替えの茶碗でのおかわりを所望したって話。
そもそも結果から見ると不利だけど
当時は小早川の裏切りがなければ、西軍勝っただろ
当時は小早川の裏切りがなければ、西軍勝っただろ
へうげもの、では、ホストは古田織部だった
関ヶ原の直前のエピソードとしては古田織部は妥当な気がする
関ヶ原の直前のエピソードとしては古田織部は妥当な気がする
※5
へうげでのホストは今井宗薫じゃなかったか?
へうげでのホストは今井宗薫じゃなかったか?
逸話なんだから、真実である必要はないだろ。
こういう逸話が作られるぐらい、刎頸の交わりを結んだということだし。
ただ、これにも裏があって、文武に秀でた吉継なのに、どうして分の悪い戦にその身を投じたか、どうして三成を押し留めなかったのか、という疑問が後年あり、「友情」>「合戦」という図式を無理矢理作るために創作された、という説。
しかし、コメにも書いてあるとおり、元々関が原の合戦は数的にも西軍有利であり、陣形も魚鱗に対して鶴翼という正攻法であったため、「まさか負けることはないだろう」という読みが吉継にもあったかもしれない、という事。
若くして死んだ蒲生氏郷や若くして落魄の目にあった立花宗茂、それとこの大谷吉継については、その大器を存分に見せることがなかったため、評価が分かれるのは致し方ないところか。
こういう逸話が作られるぐらい、刎頸の交わりを結んだということだし。
ただ、これにも裏があって、文武に秀でた吉継なのに、どうして分の悪い戦にその身を投じたか、どうして三成を押し留めなかったのか、という疑問が後年あり、「友情」>「合戦」という図式を無理矢理作るために創作された、という説。
しかし、コメにも書いてあるとおり、元々関が原の合戦は数的にも西軍有利であり、陣形も魚鱗に対して鶴翼という正攻法であったため、「まさか負けることはないだろう」という読みが吉継にもあったかもしれない、という事。
若くして死んだ蒲生氏郷や若くして落魄の目にあった立花宗茂、それとこの大谷吉継については、その大器を存分に見せることがなかったため、評価が分かれるのは致し方ないところか。
管理人、今回はボロクソだなw
創作ついでに、創作物では何かと文弱な設定の石田三成だけど、
賤ヶ岳の戦いでは先鋒として武功を挙げ一番の栄誉を獲得しているように
史実では軍事的手腕も高い。
賤ヶ岳の戦いでは先鋒として武功を挙げ一番の栄誉を獲得しているように
史実では軍事的手腕も高い。
鼻水落ちるところまでよく見てたよね。
普通見えるのか?
普通見えるのか?
おまえら、自らを投影すんだろ。な。そういう奴なんだよ、オマエは。
>>2
IMEのばかぁぁぁあぁぁああああ!!
IMEのばかぁぁぁあぁぁああああ!!
鼻水でも膿でも、どんなイケメン美人さんでも、幼女じゃないなら嫌だろうが
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