昔、京都の山寺に、教養もあり、徳も積み、仏教徒としてもきわめて信心深い和尚がいた。
近傍の村人からも、たいそう慕われていた。
そんな村人の中に、一人の猟師がいた。
ある日、その猟師が米を持って和尚の所にやって来た。
和尚曰く。
ここ数日、夜になると、普賢菩薩が象に乗ってやってこられるのじゃ。
これも、長年に渡る修行と黙想の功徳だと思っている。
お前も、今夜は寺に泊まり、普賢菩薩を拝むとよい。
猟師は、そんな尊いお姿を拝めるのなら、是非、拝見したいものだ応える。
だが、果たして、自分のような者に普賢菩薩の姿が見えるものかどうか、やや不審に思い、寺の小坊主に訊ねてみた。
すると、その小坊主も、和尚と一緒に、もう六回も象に乗って現れる荘厳なお姿を見たのだいう。
猟師は、小坊主にも見えるのなら、自分も見てもよいと思い、夜を待つことにする。
堂の廊下に和尚と小坊主が坐し、戸外に向かって、熱心に念仏を唱える。
その背後に、猟師も静かに座る。
夜の静寂の中に、普賢菩薩の到来を待つ。
夜の闇が深まった頃、それはついに現れた。
小さな白い光が現れ、近づくにつれ巨大な光の柱となった。
六本の牙のある雲のように白い巨像に乗った普賢菩薩が、眼前にそびえたったのである。
和尚は、その偉容に手を合わせ、一心不乱に念仏を唱える。
するとその時、どうしたことだろう、和尚の後ろにいた猟師が、弓を取って、すっくと立ち上がり、その普賢菩薩像にねらいを定め、ひょうと弓を引いた。
放たれた矢は、菩薩の胸に深々と突き刺さったのである。
その刹那、雷鳴のような轟が走り、光はすっと消え、深い闇と静寂が残るばかりだった。
当然、和尚は烈火の如く怒った。
お前は何という罰当たりなことをするか。
畏れ多くも、普賢菩薩様に弓を引くとは・・・。
猟師はと言えば、落ち着きはらった様子でこんなふうに応えた。
和尚様、どうか、お気を鎮めて、私の話を聞いてください。
和尚様は、長年修行をお積みになり、お経の研究をなさってこられた方なので、そういう方に普賢菩薩のお姿が見えるのは当然です。
でも、この私は、無学な猟師で、生き物を殺めることを生業とする殺生な身の上。
そんな私に、そもそも、普賢菩薩のお姿が見えるはずはないのです。
なのに、私には、その姿がはっきりと見えた。
ということは、あの見えた物は、偽物にちがいない。何かの化け物であり、きっと禍をもたらすものにちがいないと思って、弓を引いたわけです。
日の出になり、和尚と猟師は、その普賢菩薩が現れたあたりに行ってみた。
血だまりができていて、そこから、点々と血痕が山の中に続いていた。
その血痕を追いかけていくと、猟師の矢に射抜かれた大きな狸の死骸が横たわっていた。
ラフカディオ・ハーンは、最後に、こう結んでいる。
「和尚は学問のある信心深い人だったが、狸にやすやすと騙された。
ところが、猟師は無学で不信心な男だったが、しっかりとした常識をもっていた。
この生来の才知だけで、危険な迷妄を見破るとともに、それをうち砕くことができたのである」。
|
|




幻が現実であると錯覚した人間は判断を誤り自滅する
真面目に生きている人間を
悪意を持って破滅させようとすると判断されたなら排除されても仕方がないのかもよ
これは盲信してると騙されていることにさえ気づかないんですよっていう喩え話だろ
別に狸だろーが狐だろーが幼女だろーがその辺はどうでも良いんだよ
そこが分からんと評価のしようも無いわ
はっきりさせたら妖怪話じゃなくなるんだろうけど
なるほどソッチが正解だわと
キャバクラ通うオッサンは思うワケだよ
君たちはわざわざそんなアスペみたいに生きて何が楽しいんだ?
たぬきは話の流れで“騙す”という悪意という中身を表現すべく名を出しただけであり外見を気にする場面じゃないのは見りゃわかるだろ・・・
これじゃぁ最近の若い連中に話が通じないよなぁーw
こんな事も理解できないようじゃ…
若い者からすると具体的な何かを示さず(示せず)上から目線なオッサンに悲しくなるよ
日本が大好きで、日本人の嫁さんもらって帰化した。
この作品は日本の文化を欧米に紹介する、「知られぬ日本の面影」という著書の中の「常識」という作品。
おっさんになったかもしれないと思ったほうがいい
だから※13はとても賢い
よかった、撃たれて死んだ狸はいないんだね!!
悟りを開いた狸が坊さん騙すのか?菩薩に化けるってだけで罰当たりだろ。
小泉八雲
まあ、騙されて自分を拝んでいる坊主を見るのが愉快だったんだろう
ちなみに、「悪意という中身を表現すべく名を出しただけ」とか言ってる ※11は中二病な


|
