1970年代までプロレスは勧善懲悪、つまり日本人=正義、外国人=悪
という物凄い分かりやすいステレオタイプが売りであった。例の街頭テレビで、力道山がアメリカ人相手に
チョップを繰り出し、バッタバッタとなぎ倒していくシーンに国民は興奮した。
戦後という背景もあり、日本プロレス時代(〜1973年)までは日本人同士の対戦はタブーとされていた。
という物凄い分かりやすいステレオタイプが売りであった。例の街頭テレビで、力道山がアメリカ人相手に
チョップを繰り出し、バッタバッタとなぎ倒していくシーンに国民は興奮した。
戦後という背景もあり、日本プロレス時代(〜1973年)までは日本人同士の対戦はタブーとされていた。
その図式を変えたのが全日本プロレスと新日本プロレス、つまり馬場と猪木。
馬場は世界最強タッグ選手権等々、全ての選手が総当りで真のチャンピオンを決めるツアーを慣行。
それまで見られなかった日本人同士の対戦もあり、興行は大成功を収める。猪木も同様。
となると同時に外国人同士の対戦もあるわけ。従来は日本人相手に悪事をはたらいていればよかったのが、
そういう古い能無しのスタイルが今後は通じなくなる。まあ70年代ともなればもはや戦後でなかったからな。
勧善懲悪の世界より、日本人だろうが外国人だろうが最も強い選手を応援したい!と観客はシフトしていく。
この時代の波に乗って日本で大成功したのがザ・ファンクス、ブッチャー、ハンセン、ロードウォーリアーズ等々。
試合中に外国人選手にエールを送るのが恒常化したのがまさにこれらの選手。
とにかく強いし、それだけでなく日本人のハートにクリティカルヒットする何か強烈な個性を持っていた。
また彼らも日本が気に入り、何度も来日しては各自お気に入りの日本ステイを楽しむ。
象徴的な存在がやはりアブドーラ・ザ・ブッチャーだろう。
彼は黒人というだけで、本国アメリカではまるで惨めな存在。
アメリカのプロレスには、白人が黒人をブッ潰すという楽しみ方が深く根付いていたからだ。
ところが日本に来れば、ファンクス相手に殺人未遂的な反則やっても彼は大人気。
あのマンガのようなキャラでスピーディに空手殺法を繰り出す独特の魅力にファンは惹かれた。
もちろんブッチャー自身も日本が大のお気に入りで、来日回数は100回を超える。
こうして彼は日本でたっぷり稼ぎ、後に本国で「アブドーラ・ザ・ブッチャーハウス」を開店させる。
その店ではブッチャーを慕って黒人の常連が多く、そのリクエストに応えてか、店内では主に日本で活躍するブッチャーの勇士がビデオで流されているという。
これは推測だが、恐らくブッチャー(黒人)がファンクス(白人)をボロクソに傷めつけるシーンがリピートされていると思われる。
向こうの黒人差別はそら凄いものがあるからなあ。
その姿に黒人のお客さんも感銘を受けるのでは。
そうそうブッチャー曰く、日本でも自分の店をオープンさせたいので、パートナーを募集中とのこと。
食堂を経営されている方はぜひご一考願う。
外食つながりでもう一つ。
目黒に「ステーキハウスリベラ」なる店があるので紹介したい。
80年代のある日、近くのホテルに泊まったブルーザーブロディが、
「ステーキを食いたい」
とフロントに聞き、たまたま近くのこの店を紹介してもらったのがきっかけ。
そしたら次の日もブロディはやってきた。
「美味しい!美味しい!」
と言ってここのステーキがとにかく気に入ったようだ。
それからというもの、ブロディが他の選手を連れてきてネズミ算式にレスラーの常連が増えていった。
90年代ともなると成田に到着した外国人レスラーの共通の合言葉は、「リベラに行こう!」が当たり前。
来店したレスラーとの記念写真は5000枚を超えるという。
ちょっとしたプロレス博物館並み。
オーナーはある日、リベラオリジナルジャンパーを作った。
そしてそれを常連レスラーに配ったところ大好評。
90年代のプロレス中継を見ているとオフの外人レスラーが、「RIBERA」と刺繍された赤いジャンパーを着ている姿が散見される。
彼らにとっては一種のステータスであり、リベラジャンパーを持っていない来日外国人レスラーはモグリとからかわれるのだそうな。
このジャンパーは非売品なんだが、日本のプロレスファンがある日試合会場に着ていったら、外国人レスラーに歓迎されるのかと思ったら逆に袋叩きにあってビリビリに破られた。
「これはリベラを愛する俺たち外国人レスラーの証だ!オマエが着るな!!」
ってね。
もはや宗教的存在www
馬場は世界最強タッグ選手権等々、全ての選手が総当りで真のチャンピオンを決めるツアーを慣行。
それまで見られなかった日本人同士の対戦もあり、興行は大成功を収める。猪木も同様。
となると同時に外国人同士の対戦もあるわけ。従来は日本人相手に悪事をはたらいていればよかったのが、
そういう古い能無しのスタイルが今後は通じなくなる。まあ70年代ともなればもはや戦後でなかったからな。
勧善懲悪の世界より、日本人だろうが外国人だろうが最も強い選手を応援したい!と観客はシフトしていく。
この時代の波に乗って日本で大成功したのがザ・ファンクス、ブッチャー、ハンセン、ロードウォーリアーズ等々。
試合中に外国人選手にエールを送るのが恒常化したのがまさにこれらの選手。
とにかく強いし、それだけでなく日本人のハートにクリティカルヒットする何か強烈な個性を持っていた。
また彼らも日本が気に入り、何度も来日しては各自お気に入りの日本ステイを楽しむ。
象徴的な存在がやはりアブドーラ・ザ・ブッチャーだろう。
彼は黒人というだけで、本国アメリカではまるで惨めな存在。
アメリカのプロレスには、白人が黒人をブッ潰すという楽しみ方が深く根付いていたからだ。
ところが日本に来れば、ファンクス相手に殺人未遂的な反則やっても彼は大人気。
あのマンガのようなキャラでスピーディに空手殺法を繰り出す独特の魅力にファンは惹かれた。
もちろんブッチャー自身も日本が大のお気に入りで、来日回数は100回を超える。
こうして彼は日本でたっぷり稼ぎ、後に本国で「アブドーラ・ザ・ブッチャーハウス」を開店させる。
その店ではブッチャーを慕って黒人の常連が多く、そのリクエストに応えてか、店内では主に日本で活躍するブッチャーの勇士がビデオで流されているという。
これは推測だが、恐らくブッチャー(黒人)がファンクス(白人)をボロクソに傷めつけるシーンがリピートされていると思われる。
向こうの黒人差別はそら凄いものがあるからなあ。
その姿に黒人のお客さんも感銘を受けるのでは。
そうそうブッチャー曰く、日本でも自分の店をオープンさせたいので、パートナーを募集中とのこと。
食堂を経営されている方はぜひご一考願う。
外食つながりでもう一つ。
目黒に「ステーキハウスリベラ」なる店があるので紹介したい。
80年代のある日、近くのホテルに泊まったブルーザーブロディが、
「ステーキを食いたい」
とフロントに聞き、たまたま近くのこの店を紹介してもらったのがきっかけ。
そしたら次の日もブロディはやってきた。
「美味しい!美味しい!」
と言ってここのステーキがとにかく気に入ったようだ。
それからというもの、ブロディが他の選手を連れてきてネズミ算式にレスラーの常連が増えていった。
90年代ともなると成田に到着した外国人レスラーの共通の合言葉は、「リベラに行こう!」が当たり前。
来店したレスラーとの記念写真は5000枚を超えるという。
ちょっとしたプロレス博物館並み。
オーナーはある日、リベラオリジナルジャンパーを作った。
そしてそれを常連レスラーに配ったところ大好評。
90年代のプロレス中継を見ているとオフの外人レスラーが、「RIBERA」と刺繍された赤いジャンパーを着ている姿が散見される。
彼らにとっては一種のステータスであり、リベラジャンパーを持っていない来日外国人レスラーはモグリとからかわれるのだそうな。
このジャンパーは非売品なんだが、日本のプロレスファンがある日試合会場に着ていったら、外国人レスラーに歓迎されるのかと思ったら逆に袋叩きにあってビリビリに破られた。
「これはリベラを愛する俺たち外国人レスラーの証だ!オマエが着るな!!」
ってね。
もはや宗教的存在www
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1 . 名無しさん ID:uiIp8F.Q0 : 編集:削除
またプロレス人気出ないかなぁ。今の選手もみんながんばっているんだけどなぁ。
大昔:日本人は善で強い、外人は悪だから負けるんですよ!
昔:日本人も外人もなく最も強い奴が勝つんですよ!
今:お約束と台本を筋肉で見せてます……
昔:日本人も外人もなく最も強い奴が勝つんですよ!
今:お約束と台本を筋肉で見せてます……
まぁ、普通につまらないからなぁ、プロレス
日本人設定の方が日本人じゃないって話なん?(´;ω;`)
レスラーは筋肉量はすごいけど、言動が暑苦しいから好みじゃないわ。
リベラ近くなんだけど行ったことない。
でっかいステーキが有名だよね・・・
でっかいステーキが有名だよね・・・
清水池の向こう側にあるのか、行ってみるかな
ブッチャーをリアルタイムで見てたけどそういえば黒人だったなと今思ったわ。
焼けてる人が多くて違和感ないよね
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