大学に入ってバイク免許をとりと中古のバイク買ったら金が尽きた。
それでも遊びたいのでテントとか寝袋よか野外炊飯道具を買い込み、フェリーに乗って北海道に行くことにした。
大変ではあったが雨さえ振らなけれ10代の冒険心を満たす気ままな旅だった。
何日目かで日が暮れそうなのにテントを張る適当な場所がなく
原生林と畑の間にあるなんとなく平らな空き地を寝る場所に決めた
夕暮れが迫っていて慌てて作業をしていると
後ろからいきなり声を掛けられた。
嫁「ここにテント張ったら駄目ですよ」
俺「?熊が出るの?」
嫁「(怒)家の私有地です!」
しゃがんで作業してた俺に視線のちょうど入った
デニム地のショートパンツから伸びた嫁の脚の白さが印象的だった。
当時、嫁は中2で夏休みの部活帰り俺が野宿する感じなのを見つけ
それを家で話したら注意して来いと言われたらしい。
会話を正確に覚えていないが7時を回っていたので
俺「どうしても駄目ですか?もう遅いんで何とか」
嫁「私ではなく家の者に話して下さい」
となり嫁に連れられて嫁の家に行って祖父にあった。
凄く迷惑そうだったが再度交渉すると
火を使わなければOKとなり、最初の場所で野宿した。
翌朝の6時頃にテントを片付けた後、嫁の家にお礼とお詫びを言いに挨拶に行くと
何か庭先で作業してた嫁の祖父は前に日とはうって変わって機嫌が良く
色々話しかけてくれたのでこっちも自分の事をべらべら話した。
俺としては祖父と話しているつもりだったが、何故かその場には俺の事は自分の担当だと思っていた嫁がいた。
最後には貧乏旅行に同情したのか、記念にということでジャガイモを抱えきれないくらいくれた。
嬉しくなって祖父と写真を撮らせてもらおうとしたら、何故かその場にいた嫁との2ショット写真も撮ることになって
出来上がったら送るという話になり住所と(祖父と嫁の)名前を聞いた。
東京に帰ってから祖父宛だがお礼の手紙と共に写真を送ったら、嫁の名で返事が来た。
そのまましばらくほって置いたが、なんとなく気になっていたので
嫁宛で「今年もまた行こうと思います」と年賀状をおくると
返信があり「寄って下さい」と書いてあった。
その頃1,2泊の野宿ツーリングは何度もしていた。
大学2年の春休みには、九州か四国を回ろうと漠然と思っていた。
でも何故か、春休みの前に嫁から、まだ雪が残っているので来るのなら気をつけて下さいと手紙が来た。
GW頃まで待った方がよいとも、、
それを読むとなんとなく行かねばならないような気がして
九州・四国は取りやめて連休に顔を出すかもしれないと
○○家ご一同様で手紙を書いた。
で、実際北海道に行ったが前の夏とコースが重ならないようにすると
嫁の実家に時間をかけてられないので、東京からの土産物をおいて30分程で立ち去った。
この時祖父とは話したが部活に行っていた嫁には会えなかった。
みんな口をそろえて嫁が帰るまで待っておけと言っていたが
計画をはなして納得してもらった(色々食料ももらった)。
東京に帰った後、お礼の手紙を書くと祖父から返事があり
嫁がつむじを曲げていると書いてあった。
それまで彼女というものが居たことがなかったので
女の子との距離感が掴めず嫁の事が気になってしまった。
(今にして思えば単にからかわれただけだったと思う)
で飽きずにその年の夏も北海道に行くことにした。
日にちと大体の時間を指定して顔を出すと○○家ご一同様宛で手紙を書いた。
通常のお土産以外にも嫁へ女の子が喜びそうな小物を買っていった。
正直な話、写真の中の嫁に恋をしていたと思う。
で、実際嫁に会うと、、、、絶望した。
いくら思春期とは太り過ぎとしか思えなかった。
でも表面上は嫁に興味を持っていたとか、不細工になっていたのでその興味を失ったとか顔に出さず。
極力爽やかな好青年を演じ、○○家ご一同と昼食を共にして
3時間あまりを過ごして立ち去ることにした。
去り際に邪魔になるからとバイクの所まで見送りに来た嫁に
用意していた若い娘向けのデザイナーズブランドのハンカチを渡した。
嫁はこの時俺が嫁に恋していると思ったようだった。
東京に帰ると嫁からのお礼の手紙が付いていた。
が、それを無視して○○家ご一同様宛でお礼状をかいた。
しかし、その返事が嫁から来た。
が、それも無視した。
しばらく連絡が途絶えていたが、10月に入った頃、嫁から相談の手紙が来た。
内容は高校は「農業科」と「普通科」どっちにすべきかだった。
正直なところ、何にも思いつかなかったが
(嫁の周りでは高卒後すぐ働く人が過半数であることさえ知らなかった)
好青年を演じている手前、勝手にすればとは言えず、何度も頻繁に文通し、「農業科」でも進学はできるのだから
家族反対を押し切ってまで「普通科」に行くことはないとアドバイスした。
その過程で女性に頼られる快感というか優越感を刺激された・
一方その当時嫁は、とにかく都会に出たくて
(嫁の周りでは女性は20くらいで結婚するのが良いとされていた)
わらをも掴む気持ちであったという。
さんざん悩み事に付き合わされたのだが、嫁は近いからという理由で普通科しかない高校に進学した。
その頃はビジュアル的に難のある嫁に関心がなかったが
さすがにカチンときた。
それにその前の年の年末から彼女というものが初めて出来たので
嫁は○○さんちの田舎臭く面倒臭い長女という扱いになっていた。
で、北海道に行こうとは全く思わなかったので
春には四国に行ったし、夏は南九州に行った。
前の夏に太ましくなった嫁については興味を失っていたのだが、進学した高校での出来事とかを月一位で手紙に書いて来ていたので
ツーリング先でとった写真をそえて送った。
そのお返しなのか嫁から地元の夏祭りでとった写真が送られてきた時には
俺の心境に大きな変化があった。
おりしも人生初彼女に振られたタイミングでもあったのだが、男を含む友人数人と撮ったその写真の嫁は「奇跡的に」可愛かった。
水色の地に暖色の花の絵が描かれた浴衣は嫁の体型を細く見せたし、薄く化粧した顔は高1にしては大人びていて色っぽかった。
それより何より嫁の隣のチャラい男が妙にムカついた。
それで俺は当初予定になかった北海道ツーリングをすることにした。
既に9月になっていて後期が始まる直前の計画だった。
○○さん一家宛に手紙を書くと今度は泊って行けと言われたが、さすがに遠慮して又空き地でキャンプさせて下さいと頼んだ。
嫁の実家に3時ごろ付くともう学校が始まっていたのだが、部活を休んでいた嫁が出迎えてくれた。
でも一年ぶりの再会の時点で夏に送られてきた写真は精子が混じっくられた「奇跡」であったと気がついた
当然テンションが下がりまくりだが好青年を演じていたので
顔に出さないでいると嫁の母親から夕飯の準備のための買い物を頼まれた嫁をスーパーまで連れていく話になっていった。
この時が嫁を初めて後ろに乗せたのだが、俺の人生での価値観が変わる出来事が起きた。
簡単に云えば「むにゅ」である。
女性を後ろに乗せたのは初めてではないのだがこんな強い「むにゅ」はなかった。
さすがに嫁も恥ずかしいからか俺の腰のベルトをつかんで距離を取ろうとしているのだが、タンデム慣れしてないのでブレーキの度に当時Fランクのものが「むにゅ」である。
頭の中で「抱き心地」という単語がよぎった。
見た目やスタイルに拘るのはおこちゃまだと悟った。
嫁の家から10Km弱にあるスーパーはさすがに町の中心なだけあって
2階には洋服や本も売っているちょっとしたショッピングセンターであった。
「むにゅ」の原因を確かめようと思ったので買い物を終えた嫁をフードコートに誘い
ソフトクリームを一緒にたべた。
「むにゅ」の原因はもちろんの事チロチロという感じで
固まったミルクを舐めあげる嫁の表情にも込上げるモノがあった。
何を話したのか覚えていないが嫁は突然父親が使っている建築現場用のヘルメットで
バイクに乗っていたのを気にし始めた(よい子は真似しちゃだめだよ)。
理由を聞くとどうも友人に見付かったらしい。
俺はあまり気にしていなかったが後々嫁は色々噂を立てられ苦労することになる。
帰りはなるべく急ブレーキを多用したが、恥ずかしかったと後に証言する嫁はタイミングをつかんだので
「むにゅ」が激減したのを覚えている。
実家に戻ると直ぐにテントを張ったのだが、その際に嫁が顔を出してきたので、テンションが下がった時には渡すまいと思っていたハイティーン向けで人気のあったアクセサリを渡した。
どんな風にテントの中で寝ているか嫁は興味あったのか、色々質問してきたので夜中に来れば見せて教えてあげると下心を隠し
なるべく爽やかにいった。
恥ずかしそうな顔をしたが嫁は否定しなかった。
その後、○○一家に夕食を呼ばれた。
祖父と父は急遽東京で買った「鹿児島土産」の焼酎を飲みながらもっと話がしたそうだったが、翌朝早いという公式な理由を述べてそそくさとテントに戻った。
息を押し殺して待つこと15分ほど。懐中電灯が近付いてきた。
嫁が来たのだった。
ただし弟その2(当時小4)を連れて、すっかり秘密基地と化したテントの中を弟その2が探検している時、嫁と二人、ほんのちょっと時間が持てた。
俺がこんな綺麗な星空は東京で見れないというと
嫁は星空は見れなくなっても良いから東京に行きたいと言った。
俺は高校卒業したら来れば良いじゃないかとかなり無責任に言った。
嫁は今もその言葉はプロポーズの意味でとらえるのが普通の感覚であると
一貫して主張している。
弟その2がテントから出てきたので嫁と二人の会話はお終いになり、ここで寝たいという弟その2を引き摺るように嫁は帰って行った。
翌朝は夜明けと同時に起きテントを畳み、好青年として挨拶に行くと祖父とか祖母は既に起きていて朝食代わりのお握りとかを貰った。
ふと視線を感じたので見上げると嫁が2階の窓から顔を出していた。
好青年として気付かぬふりをしてエンジンをかけ、もう一度見上げると嫁の姿はなかった。
盛大に手を振っていたのなら分るのだが、姿がない事で将来嫁と結婚するかもしれんな、と漠然と思った。
よく考えればかなりキモい発想である。
予定ではこの後5日ほど回ってフェリーで帰るはずだったのだが、偶然にも暴風雨が近付いていたのだった。
それでフェリーが出なくなり後期の開始に間に合わなくなると不味いので早く切り上げる事にした。
それでなんとなく嫁のいる町経由のコースで帰っていると、かなり雨脚が強くなったので普段はお寺とか神社を探すのだが、嫁の家の納屋にでも泊めて貰おうと思い立ち寄ることにした。
また来年と言って別れた奴が3日後の夜九時過ぎに顔を出したのだから
嫁実家一同は驚いたと思う。
だが納屋で良いといっても承知しないので泊めて貰う事にした。
この時、俺は嫁と不自然な位に何度も見つめあってしまったのだが、一言も話さなかった、ただ嫁を含め全員がどうやら俺が嫁の事を好きらしいと思ったそうだ。
その夜は何もなく客間に寝て翌朝朝食後好青年の挨拶をして別れた、
不思議な事に嫁は朝食時に顔を出さなかった。
恥ずかしかったと後から教えてくれた。
この後東京に帰ると直ぐに、○○家様ご一同でお礼状を書いた。
それを投函した日に嫁から長文の手紙がきた。
内容は俺とショッピングセンターに居るところを見られたので
誰なのか聞かれて困っている、ただの東京に住んでる知り合いだと言っても
信じてもらえない、恋人だろうと言われたのを否定すると
ますますからかわれてしまうので、もう否定しない事にした、だった。
如何にも女子高生らしい字で書かれたそれはとても獲り止めがなかったが
結論を言えば嫁の友人はみんな俺の事を嫁の公式な彼氏だと認定しているである。
遠距離恋愛を応援されているのでどうしたらいいのでしょう?
という嫁の言葉はなんとなく、私達はもう恋人と思って良いですよね?
のように感じられたので、一般的に言って恋愛は高校卒業するまでは待つべきでないかとの趣旨の返事を書いた。
これは「嫁が高校卒業後に俺が迎えに来る」というメッセージを受けたと解釈され
嫁友人の間では嫁ちゃんの東京に居る婚約者というクラスに上がってしまった・
実際、「むにゅ」の効果で嫁への気持ちが高まっていたので
自分からは書かなかったが嫁からの手紙にはほとんど全部返信した。
会っている回数が少ないとの指摘を受けたが、他に彼女を作る位だから
俺の心の中で嫁の占有する割合はすくなかったし、嫁の中でも東京の知り合いという点が重要だっただけで
俺を男としてはそう意識してなかったと思う。
ただ大学3年の時のこの訪問で凄く関係が近まった気がする。
俺は単純に「むにゅ」についてもう少し独占して調べたくなったし、嫁は友人たちに東京に年上の大学生の恋人がいるという事が羨ましいと思われたのが大きかったと証言する。
後もう一つ大きな要因になった点は、俺がその当時普及し始めた携帯電話を所有した事がある。
ゼミの先輩に就職する際に役に立ったと言われたのがきっかけだった。
考えてみれば下宿だったその先輩と違い自宅から通っていたのだが、、
恋人との関係を知りたがる友人たちのために以前より頻繁に手紙をくれるようになっていた嫁に早速携帯番号を教えた。
すると頻繁に嫁から電話がかかってくるようになった。
家からは恥ずかしいので公衆電話を使ったのでいつも一言二言だった。
俺は手紙にテレフォンカードを入れて送った。
はっきり何時の事かは分らないが、こんな事があった。電話である。
嫁「俺さんは東京で付き合っている人は居ないんですよね」
俺「もてないから、居ないね」
嫁「付き合いたい人はいるんですか?」
俺「居ないよ、今は付き合いたいさえ思わない」
嫁「なんでです?」
俺「就職先がきまらないと」
嫁「なら就職先が決まったら付き合いたい人がいるんですね!」
俺「居ないよ、笑」
嫁「…」
それまで普通だった嫁は電話越しでも分る位に落ち込んだ。
その沈黙に耐えきれず、つい一言足してしまった。
俺「東京には居ないんだよ」
嫁「…」
嫁が次の言葉を待っていたようだった。
だがその緊張に耐えきれず、こういった。
俺「相手の方も、もっと勉強すべき時期だし」
この言葉を東京に進学して欲しいと受け取った嫁は部活をやめ勉強に励むことになる。
そうこうするうちに年末になる。
俺の方も、好青年を装いながらHなことする気満々だったし、嫁からも「会いたい電波」を受信した。
実際出していたと証言してくれているので精神異常者じゃないぞw
でも冬の北海道のツーリングなどしたくなくどうすべきか考えた。
そんな時に嫁に会いに行く事が目的の場合は何もバイクが必要ないことを嫁に教えてもらった。
俺「道凍ってるんだよね」
嫁「ええ寒い日の朝晩は、電車を使えば良いじゃないですか」
盲点だった。
嫁はこの時点でツーリングのついでに逢う立場から
会いに来てもらえる立場に上がったと認識し
なんだ俺さんはいつもはぐらかすけれど、結局は私の事好きなんじゃない、と思ったという。
で、クリスマスと正月の間に4泊(うち船中2泊)の北海道旅行に行った。
この件は嫁以外には秘密にしようと約束した。
実際嫁は秘密にしてたのだが嫁の母にはばれていた。
結婚後分ったのだが、嫁の母は俺と嫁の事を凄く応援してたらしい。
母は冗談交じりで二十歳で地元の農家に嫁いで苦労した人生を嫁にはさせたくないと思っていたといってる。
高校を普通科にしたのも、嫁が進学できるよう他の家族を説得したのも嫁の母だったと後から知った。
話はそれたが、嫁の住んでる隣町の宿をとり、その駅周辺のお店とか公民館とかをぶらぶらしながら嫁とずっと話した。
逢うまではHなことする気が充分あったのだが、実際に逢うと逢っているということにだけで気持ちが満足したのと
タクシーを使わなければ行けないラブホテル事情のためやる事はなかった。
第一にキスする機会さえなかった。
再開して直ぐ嫁にはリクエストどおりテレフォンカード10枚をプレゼントした。
こんなに悪いと言って返そうとする手を押し返そうとして握ると、話の流れと関係なく赤くなった嫁がキスを待っていると思った。
だからずっと狙っていた。
これは苫小牧港で実現することになる。
電車について
これを書くにあたって嫁に事実関係を確認しており「電車」と言ってた、再確認するとこっちに来て10年以上自称すっかり東京もん(実は××県民)の嫁はお年寄りでもないのに自分は「汽車」とか言った事がないと主張する。
なんとなく嫁の祖父とか父が「汽車」だったようの気がしたので尋ねると
実家は田舎モノでないので全員ずっと「汽車」とは言わないと怒られた。
ちなみに俺も嫁も鉄道に興味がないので通常は全部「電車」という。
フェリーについて
晴海からのは時間がかかり過ぎたと思う。
フェリーは時間を如何につぶせるかによって良し悪しが変わる。
俺はよく気のよさそうなトラック野郎の酒盛りに参加するのを狙った。
運が悪いと雑魚寝なので一晩中騒がしく寝れない状況になる。
そんな時甲板にでるとギター弾いて<落葉>を歌う奴が居たのも思い出だ。
本当は釧路行きのフェリーにも乗って道東をツーリングしたかった。
出来なかったのは「私の魅力のせいだったかしら?」と嫁に言われた。
なお、社会人になってからは一度も使ってない。
当時の遠距離恋愛事情について
話では膨らませ気味だが大学3年の夏以前はそういう関係でなかった。
電話は重要で家の夫婦も手紙だけでは結ばれなかったと思う。
あらかじめ何曜日の何時と指定してかかってくる数分の会話が生命線だった。
手紙を書くたびに1000円のテレフォンカードを入れたのを覚えている。
東京に出てきた嫁が携帯を買った際に一緒に機種変更して
字数制限はあるがメールができる様になった時、遠距離時代の電話代を返せと思った事を覚えている。
嫁の容姿について
なんか不細工みたいに思われているけれど、客観的にみて美人だよ、マジで。
大きめかつ印象が薄い男顔だけれど、容姿は整っている(キッパリ)。
身長が160あって男顔なのに賀茂なすみたいなスタイルだからちょっとバランス悪いだけだ。
でも東京に出てきた後しばらくはかなり痩せてて、ポチャからグラマーにクラスチェンジしてたし、もてていたと言っている。
今は再度、増加期で毎年未体験ゾーンに入っているが、痩せれば美人!
とにかく中2の時が嫁のピークだったってなんて思ってないんだからね、ぷんぷん。
嫁はこの二日間で需要な話をしたと言っているが何を話したが2人とも覚えていない。
当初嫁の地元近くの町で別れる予定だったのだが、嫁がどうしてもと言うため
苫小牧まで送ってもらうことにしたので当初の予定より早い電車(笑)の乗った。
普通列車をつかったので乗り継ぎがあるため2時間以上掛かったが、その間中ずっと隣にすわりずっと手を繋いでいた。
苫小牧に着くと冬だったせいであたりはすっかり暗くなっていた。
それだからか街全体が寂れて見えた、嫁を一人で置いていくのは不安になった。
第一フェリーの出航を待つと嫁が家に帰るのが9時を回ってしまう。
だから時間はあったが嫁に先に帰るよう促した。
でも、この頃は逆らう事がなかった嫁だったが絶対帰らないと言い出した。
嫁「私は一秒でも俺さんと一緒にいたいのに、俺さんは私の事を大切に思ってくれないんですね」
俺「大切に思うから先にかえって欲しいんだ」
嫁「こんど時会えるかも分らないのに」
嫁「俺さんは私の事を好きでないから、私の気持ちを考えてくれない」
泣き出して収拾がつかないので
俺「好きだよ」
とこの時初めて嫁にいった。
嫁「ならなんでもう帰れっていうの(大泣き)」
自然と嫁の肩に片手を置いた、手を回して抱き寄せた、両手で抱き締めた、嫁は俺の胸に顔を押し付けて泣き続けていた、頭をなでた、嫁は驚いたように俺を見つめた、何も言わずにゆっくりくちづけた。
舌は入れなかったが長い時間だったと思う。
唇を離すと目を開けた嫁が
「信じていいんですか?」
俺「大丈夫だよ」
嫁「いつか結ばれると信じて待ってていいの?」
再度嫁を抱き締めた俺「心配しないできっと幸せにしてみせる」
嫁「本当に?」
俺「愛してるよ」
と初めて嫁に言った。
頷く嫁を強く抱き締めた。
その後機嫌が良くなった嫁を見送った。
フェリーに乗ってしばらくすると初老のおっさんに、「さっき駅でチューしてたろ、おにいさん」とからかわれた。
今でもあの時が嫁への俺の愛情が最高値であったと愚痴られる
フェリー行きのバス乗り場近くの駅ビル?の階段の踊り場での初キスは、客観的にみると涙と鼻水だらけの顔の嫁と気持ちに余裕がなく落ち着きのない表情だった俺との
あまりキレイでないラブシーンだったとのか思った。
でも嫁の大のお気に入りの思い出だからいいやw
なかなか船の中では寝付けず、友達に自慢する予定だった
嫁の手作りクッキーを全部食べてしまった。
次の定期電話の最後で、
嫁「言いそびれちゃってごめんなさい」
俺「何?」
深呼吸して嫁「私も俺さんの事を愛してます」ガチャ。
きっと真っ赤な顔してるんだろうなと思いほっこりした。
これで第一部完にします
翌年の夏のタンデムツーリング編
さらに翌年の秋の初体験編
嫁の上京物語編
同棲時代編
は書き溜めてからいつか投下します
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「東京には居ないんだよ」(震え声)
言ってみてええ
SS板でも可
ブログの米欄で「ブログに書け」ってw
続きはよ
つづきまだー?
す、すまん。俺アホだからこの一文の意味がわからないんだ。誰か解説してくれんか。
もげろ
三行で頼む
静止画マジックだと思うな。
バイク
むにゅ
初老のおっさん
なるほど
俺の心が汚れていることに気がついた…
全部読んだわカス
おっぱい以外の続きはいらない
パチ屋のだから裏は白いよ
文章が下手すぎ
つまらない
物乞いした家の娘さんが
今の嫁です
太った→興味なし
むにゅ→太った女もいいかも
これで感動しろと言われても無理。
文章としては悪くない
どうしてくれる、この行き場のない気持ち
むにゅ
チロチロ
で済む
「これで第一部完にします」wwwwwwwwwwww
ソロツーリング命だったオレには無理な話だわ。
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