秀吉と牛蒡
羽柴秀吉が関白に就任し、豊臣秀吉と名乗り始めた頃の話である。
人臣の位を窮めた秀吉に、各国の大名や豪商、有力者達が祝いの品を贈っていた。
その頃、秀吉の故郷である、尾張中村でも秀吉に祝いの品を贈ろうと、農民達が話し合っていた。
しかし当時の尾張中村は寒村であり、特に名産も無く、農民達は何を贈り物とするか決めあぐねていた。ある者が言った。
「そういえば、秀吉様が墨俣に城を建てた時や、長浜に城をいただいた時、
この中村の牛蒡をお祝いとして差し上げたら、たいそう喜ばれた。今度も牛蒡を贈ったら良いのでは?」
皆、(関白さまに牛蒡など…)と戸惑ったが、他に換わる金品は無い。
せめて丹精した牛蒡をと、農民達は選りすぐった牛蒡を持ち寄り、村の代表者に託した。
大坂城に着いた尾張中村の一行は驚いた。
城の大きさ、賑わう人々、そして城に続く長い行列。
皆、立派な格好をし、金や刀や絹織物、中には精悍な駿馬を携えている者もいた。
すべて秀吉への贈り物である。
みすぼらしい格好で行列の端に並ぶ、中村の農民。
そこに羽柴秀長の一行が通りかかった。
秀長は農民達の中に、見知った顔があった。
「おお!中村の者達ではないか、久しいのお!どうした、なぜ大坂に?」
農民達は秀長に、秀吉さまに牛蒡を贈ろうと思ったが、あまりにみすぼらしいので、貴方に預けて早々に帰りたい、と伝えた。
秀長は言った。
「ばかもの。はるばる尾張中村からの使者を無碍に帰せるものか。よし、わしと共に城に来い。」
秀長は農民達を連れ、城に入った。
農民達は城の台所で待つよう言われ、しばらく待っていた。
台所の奥からドカドカと足音が近づいてきた。
それは秀吉であった。
秀吉は駆けるように農民に近寄り、喜色満面で言った。
「中村の者達、よく来た、よく来てくれた!嬉しいぞ!それに、また牛蒡を持って来てくれたのだろう?
ありがたい、まことにありがたい。」
農民一人一人の手を取り、感謝する秀吉。
望外の歓待を受け、農民達も安堵した。
酒宴が始まり、秀吉や秀長、おねや母のなかも加わって、しばし時を忘れ賑わった。
あくる日、秀吉は帰ろうとする農民達に言った。
「お前達を手ぶらで帰す訳にはいかん。
土産として、尾張中村の年貢を永年免除とする。どうだ?土産になるか?」
農民達は秀吉に感謝歓喜し、意気揚揚と尾張中村へと帰った。
それから数年経った。
年貢が免除された尾張中村では、農民達は裕福な生活を送っていた。
ある者は家を豪華な屋敷に造り替え、ある者は蓄財し、商いを始めた。
皆が再び集まり話し合った。
「わしらがこんな贅沢に暮らせるのも秀吉様のおかげだ。
お礼として何か贈ろう。皆で金を出し合って、刀や駿馬を取り寄せよう。」
こうして農民達は立派な刀や精悍な駿馬を携え、再び大坂城へ赴いた。
あの時のように、城の台所で待つ農民達。
駆けんで来る秀吉。
農民たちは言った。
「秀吉さまのおかげで、我々も豊かに暮らせる事が出来ます。
立派な名刀と駿馬を買える余裕も出来ました。どうぞお納めください。」
すると秀吉は怒気を含めて言った。
「ばかもの!何故、牛蒡を持って来なかった!」
あっけにとられる農民達。
秀吉は心底落胆して言った。
「墨俣に城を建てた時、長浜城主となった時、そして大坂城を建て関白となった時。
お前達はいつも牛蒡を持って来てくれた。ありがたかった。
まだ俺が中村の百姓だった頃を思い出せた。」
秀吉は続けた。
「わしは武士となって、信長さまのもとで必死に働いた。命がけで働き出世した。
それは、わしは貧しい農民たちが戦など無く、豊かに暮らせる国を造りたいと思っていたからだ。
だが、武士として働いている内にその思いが薄れ、民をないがしろにしようとする。欲が出るのだ。」
秀吉は農民を見渡し、言った。
「お前達の牛蒡は、その欲を消してくれた。
自分が偉くなる度にあの牛蒡を食べ、農民達の事を思い出した。
だからこそ再び働き、出世した。そして今は日本の王として働いておる。
今こそ、この国の民達が豊かに暮らせる様にと思ってな。
あの時の牛蒡はわしにとってどんな金品よりもありがたかった。
農民達の期待に応えねば。そう思った。」
秀吉は毅然として農民たちに言った。
「それなのにお前達は暮らしが豊かになると、百姓の基本を忘れ、金品を集め刀や馬を俺に贈ると言う。
そんな物は大名か商人のすることだ。お前達が牛蒡を忘れる様な国を造るつもりは無い。」
農民達は恥じ入り、秀吉に誓った。
「今度こそ、我々が丹精した尾張中村の牛蒡を贈ります。われら必死に働きます。お許しくだされ。」
秀吉は言った。
「お前達の牛蒡、待っておるぞ。」
天下人となった羽柴秀吉は「豊臣」の姓を賜り、豊臣秀吉と名乗り始める。
秀吉は「豊臣」(しんをとませる)と言う姓に、己の真の理想を見ていたのであろうか。
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