嫁とは高校の文化祭で知り合った
嫁が文化祭で出したものが養蚕と座繰りに関する催しをしていて
誰も見向きしなかった所に俺が食いついて意気投合して交際
大学を一緒に出て卒業と同時に結婚
5人の子供と毎日騒々しく暮らしています
お互い農林高校の同学年で学科は違ったのでほぼ面識は無かったんだけど
文化祭の催しで嫁が養蚕と繭から生糸を紡ぐ座繰りの歴史と
蚕の生態と特性を調べて発表していた
日本で養蚕は絶滅に近い位まで減っている事もあって
初め何人か来た位で後は誰も来なかった様子
俺が入ってきても軽く挨拶する位で後は本を読んでるだけだった
色白でかわいい子だったから下心全開にしつつ
父親が養蚕の専門家な事もあって知識は少しあったから
嫁にあれこれ質問を投げかけた
最初は少し乗り気になっていなかったけど
だんだん俺が養蚕を知っている人と分かると会話が一気に弾んで
養蚕の会話だけでなく趣味とか夢とか色々な話をした
文化祭の後に学校で会って話をした時に
俺の父親が養蚕の専門家で今度の日曜に
座繰りの実演を見せるイベントがある事を話してデートに誘った
父親にその話をしたら若い養蚕研究者の存在がいた事と
俺が女の子と出かける事の両方で大喜び
良い年こいたオッサンがイベントの日が待ち遠しいと興奮する騒ぎになった
当日に嫁と合流して話をしながらイベント会場に向かった
会場では父親が準備していて嫁を見るなりかわいいを連呼
挙げ句の果てには息子(俺)はモテないからフらないでくれとか
付き合ってもいないのにあれこれとお願いをする始末
嫁も最初は父親の勢いに圧倒されてたものの
途中からニコニコしながら会話を弾ませていた
そして座繰りの実演が始まると父親も真面目な顔で実演して説明
その説明に嫁は聞き入り座繰りの実演に目をキラキラさせて見入っていた
実演が終わった後に嫁が父親に質問をしていたら
父親の知り合いが差し入れを持ってきてくれたんだけど
その人がまさかの嫁の父親だった
嫁父は俺の家でよくオヤジと飲む仲間で
嫁父に同い年の娘が同じ高校にいる話は聞いていたがまさか嫁だとは思わなかった
嫁父とオヤジはその場ではビックリしていたが
俺と嫁が一緒にいたそうだからとダシに使われて
その日の夜に俺の家で飲み会を開く運びとなった
オヤジと嫁父は終始上機嫌で俺達を見てはニヤニヤしながら酒が進む
俺達は食事しながら今日の話や世間話をした
開始3時間過ぎた所でオヤジ連中は酒に呑まれてダウン
俺と嫁は俺の部屋で寝る事になった
風呂に入ってきた嫁は肌が少し赤く染まって色っぽかった
寝る時に話を進めていくうちに今後の進路の話になって
嫁の進学希望と俺の進学希望が同じ地方国立大だったと分かった
この時から合格に向けて休みの日は会って一緒に勉強を始めた
お互い得意科目が違うので分からないことは教え合って
夜遅くまで勉強していてお互いの部屋に寝泊まりする事も珍しくはなかった
こんな事を繰り返していくうちに俺の方から付き合おうかと切り出したが
嫁は座繰りのイベントに誘われた事が告白だと思っていたらしく
既につき合っていたと勘違いしていて
俺が告白してきた時には少しテンパっていたが
改めて宜しくお願いしますと返事を貰い付き合う事になった
その日から勉強に精を出して大学にはお互い合格
その日の夜は俺の家でオヤジ連中と合格祝いをダシに飲み会になり
俺と嫁はオヤジ連中のダウンを確認した後
俺の部屋でひとつに結ばれた
その翌朝にはオヤジ連中は
「据え膳は食ったか?ゲラゲラw」
とオヤジトーク全開だった
俺は恥ずかしくて俯いていて嫁は困った顔をしていた
大学に行くのと同時に同棲を始めて
4年間勉強しながらも大いに遊んだ
お互いバイトをしてお金を貯めて
卒論も7月の初めには提出し終えたので
夏休み少し前から個人的に絹糸の染色を研究していたオヤジの仕事を手伝うことにした
嫁はオヤジと染色の研究と実験で俺は助成金の為の書類作成をした
11月にはあらかたの研究を終えたが
大手の紡織会社も同じ研究をしていた事が分かり
その企業から研究結果を200万で買いたいと打診があった
オヤジはその研究結果については封印して断った
オヤジの
「研究なんてこんなもんだ」
とボヤいた時の顔は今でも忘れられない
オヤジは俺と嫁に20万ずつ渡してきて卒業まで遊んで来いと言ってきた
俺達はその金を持ってどうしようかと考えた
遊ぶことも考えたがオヤジは自分の貯蓄を食いつぶして研究を進めていたし
助成金は研究後の展望が期待できないとして貰えなかった事も知っていた
3日くらい話をして俺達はオヤジに20万を返す事を決めた
恐らくその金はオヤジの貯蓄最後の金
俺達だけで貰うわけにはいかないから
その金でいつものメンツで飲もうという事を提案した
研究お疲れ様の飲み会をしようと話したらオヤジはボロボロと涙を流して泣いた
その夜に俺達とオヤジ二人と母親二人で飲み会を開いた
時期は年の暮れに入った所だったのもあり
少し早い忘年会だと言ってオヤジを笑わせた
飲み会進めていくとオヤジは研究の事を引きずっている様子が見て取れた
嫁父も母親二人も何て声をかけたらいいか分からないと困っていた
その雰囲気の中で俺達が卒業したらすぐ結婚を考えていると話したら
意気消沈のオヤジは喜んでうれし泣き
嫁父と母親二人も大層喜んだ
年を明けて直ぐに結納を済ませ式場を探し
卒業式を終えたその足で婚姻届を提出した
結婚した翌年の07年春に長男が生まれその次の年の暮れは三つ子の女の子が生まれた
末っ子の次男は昨年の11月に生まれた
今長男が6歳、三つ子が今度5歳、次男は今度1歳になる
オヤジとの研究は意外な所で実を結んだ
今年8月にオヤジの職場に外務省と経産省の職員が来たらしく
何でもミャンマー技術支援の一つとして養蚕蚕糸の技術を教える事になったそうで
技術後進国のミャンマーで機械を使わない絹糸作りを
教える立場としてオヤジに白羽の矢が立ったそうだ
オヤジの座繰り技術は日本では殆ど技術者がいない位廃れてしまったもので
技術者がいても80歳を超える高齢だったりして渡航は不可能に近く
50代で座繰り技術を持つオヤジの情報を知ったそうだ
これから発展するミャンマーに教えるにはアナログな技術でうってつけで
1ヶ月間技術を現地で教えるそうなんだが
渡航費、滞在費、その他準備に必要なお金は全て国が持ち
現地滞在中は現地通訳2人、SP2人、警護として更に陸軍兵が3人付く国賓級の扱いなんだそうだ
オヤジの書類は既に外務省へ通っていてミャンマー政府とも折り合いは住んでいて
後はいつオヤジがミャンマーに飛べるかを決めるだけの状態
どうもオヤジの知り合いに経産省の中で中堅の職員がいて
その話が出た時にオヤジを推薦したようだ
そして俺が助成金申請で書いたオヤジの論文をどこからか手に入れて
正式的にオヤジにオファーする事になったのが真相らしい
一度は諦めた物が今になって再注目されて
他国での技術指導として仕事するとは夢にも思わなかった
予定としては来年の1月にオヤジはミャンマーへ飛び養蚕と座繰りの技術を教えてくる
オヤジはその某企業が一度絹製品を見捨てて化学繊維に移行した会社だから
自分の技術を末永く生かしては貰えないと踏んだから封印した
封印と言うと語弊はあるかも知れないが
オヤジが封印という言葉を使ったから俺も今回使った
あと、その企業がオヤジに何て交渉したかは詳しく知らないが
良いところに同じ研究の良い結果があったから結果の一部にしたい
金は積むから結果を提供してくれなんて
金を盾に上から目線でふっかけられた事が気に入らなかったらしい
研究者としては本当に不器用だと思う
だけどオヤジは
「金なんか無くてもいい、本当に欲しい人に教えられる成果を出したい」
と常々言っていた
結局特許も取らず今は商工会議所の契約社員として農業指導働をしている
ミャンマーには商工会議所を辞めた上で行くらしい
もっとも今年度で契約は終わりだからそれで良かったみたいだけど
ってか俺は蚕触れないし
俺は種から苗を作るのを専門として栽培・出荷している会社の勤め
嫁はJAの事務として働いている
最近結婚するきっかけになったオヤジの研究の話をする事が多くなってるから
もしかしたら嫁はJA辞めてまた高校の時にハマった蚕の研究をするのかも
オヤジがいなくなる前に嫁が全て受け継ぐつもりなんじゃないか?
そうなったら俺は全力で支援協力するよ
お蚕で大きくしてもらったのにお蚕は大の苦手な俺
子供の時に家で飼ってた蚕が脱走して
朝に俺の顔にいた事があって
その時からトラウマになって蚕とかああいう虫全般がダメ
オヤジはこの話を貰った時に
ミャンマーで凶弾に撃たれ死んでも悔いは無いと言っている
それくらいこの依頼に嬉しさを爆発させている
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