俺の父親の4番目の嫁さんが俺とたいして年齢の違わん人で
当時、俺は実家から高速で5時間の地方都市で一人暮らしで働いていたわけだが
わざわざ結婚の挨拶にやってきた。
そこで(あくまで形式上)結婚の了解を求められて
「好きにしてください。
俺の母も、俺を妊娠したのを口実に前の奥さんを追い出して親父と結婚したので、
あなたもそいう目にあわないようにお気をつけください」
と、いくらか自虐的に冷たく返事したら同情されてしまったw
水商売の人だけど、悪い人ではなさそうなので求められるまま
携帯の番号とメアドを交換した。
(ここから俺の生い立ち)
俺の母というのが、実母をこういうのも気が引けるがクズな女で、俺が腹の中にいるうちから悪の手先として使って前妻を追い出し
12年後に父と離婚して手切れ金や養育費をごっそり貰った後も
何かとつかず離れず、俺の教育をネタに父から金を引き出していた。
だいたいが俺の認知も血液型は合うし、父に似てる気がするとか
かなりいい加減なものだったらしい。
後にDNA鑑定で確率95%と出たらしいのだが、あの母なら
俺は残りの5%に賭けるのもありかと思うね。
それだと俺が複雑な心境になるので考えないようにしてるが。
離婚後、俺は母と暮らしていたわけだが
「大学いったら1人暮らしできるよね?」
と聞かれて、単純に大学行ける、下宿もさせてくれると喜んでたら
「好きな人ができました。あなたも元気でね。お父さんによろしく」
といって消えやがったw
大学行く金はおいていってくれたので情のカケラはあったようだ。
まだ高校生だったし、大学行くにも手続きやなんかで保護者も要るので
父に頼むと喜んで
「戻ってこい。一緒に暮らそう」
といわれた。
父にはすでに3番目の嫁さんも子供(俺の義弟になる)もいたので、それは遠慮したが、仕送りの代わりに結構な入学祝い金をもらって
とりあえず就職するまでの生活費は確保できた。
父がそういう無茶な人だったので、父の事業を助けている親戚一同は
俺を含めて父の嫁さん関係者を
「父家の風紀を乱す淫祀邪教の徒」
「財産目当ての乞食」
と思っていたフシがあって、それって俺も否定できないんだが
一番悪いのは父だろう。
(以上、俺の生い立ち終わり)
話が元に戻るが、父の4番目の嫁さん(以下、義母)のメル友となった俺は
義母の愚痴メールをそれなりの頻度で貰いつつ、
「A伯父さんは話がわかる」
「B叔母さんにはもう平身低頭しとけ」
というふうに情報提供をしながら、ちょっとずつ親しみを覚えていった。
その頃俺は24歳で、1つ下の大学で知り合った彼女がいた。
名は他の人の例に倣って嫁子としておく。
義母からキャピキャピしたメールが盛んに来るため、誤解を受けないように
嫁子に改めて俺の家の事情を話して
「このギャルみたいなメールは俺の義理の母親からだ」
と説明すると嫁子はドン引きした。
そりゃそうだw
嫁子は別にお嬢様ではないが、まずまず裕福で常識人の両親を持ち
俺の家みたいなカオスな世界は知らないし、知らせたくもなかった。
しかし俺はすでに嫁子との結婚を意識していたし
複雑な家庭で育ったことは少々教えていたので、これを機会に全部
ぶっちゃけたわけだ。
それで別れ話になってもしかたないとは思ったが、嫁子は別れる気はないといった。
安心した。
「それって俺君が解決できる話じゃないと思う。うちの両親に正直に話してわかってもらうしかないね」
「普通の人ならドン引きだろ。嫁子のご両親に軽蔑されるのは気が進まないな」
「わたしがちょっとずつ小出しに話してみるよ。いきなり全部だとまずいから」
あれだ、砒素をちょっとずつ盛っていって毒への耐久性をつけさせるわけだ。
義母に
「俺にも彼女がいますんでギャル風メールはやめて」
と送ると
「俺さんの彼女? 見たい!ぜひ見たい! 紹介して!」
と何やら珍獣を見たい気配である。
わざわざ長時間かけて高速を飛ばしてきた義母を一抹の不安を抱えつつも嫁子に紹介した。
屈託もなく親しげな義母。
ぎくしゃくする嫁子。
はらはらする俺。
会見は微妙な親密感の中で終わった。
義母と別れたあとで
「悪い人じゃなさそうだけど、どんな人かはっきりわからないし
嫁子が無理して付き合うことはないよ。というかかかわらないほうが」
そういったのだが、それからの嫁子は夜、ベッドの中でしばしば
新技を披露して俺を驚かせた。
問い詰めると義母にメールで習ったという。
何を教わってるんだ。
というか何で仲良くなってるんだよw
俺の嗜好とか義母にだだ漏れにしてるんじゃねえ。
それから2年間。
俺と嫁子はとりあえずの結婚資金貯金に余念がなく、義母は親戚一同からの冷たい視線を跳ね返しつつ、父の妻としての地位を着実なものにしていった。
俺にくるメールはあいかわらず親戚や父の愚痴が多かったが
嫁子とは普通の友達みたいなやりとりをしていたようだ。
俺や嫁子はしょせん世間知らずの新米社会人で、年齢はほぼ同じながら
生活力のある義母は、俺たちにとってかなり新鮮な存在だった。
嫁子は
「頼りになるお姉さんみたい」
「いろいろ詳しいし、うふ」
そんなことをいっていた。
しばらくして父が入院した。
1ヶ月程度の話だったはずがずるずると延びて
余命がどうのという話になった。
親戚一同に疎まれるのは承知だが無視もできず見舞いに何度かいった。
父の会社はとりあえず親戚で事業継続することになった。
要するに俺や義母に口を出すなといいたいらしかったが、俺はその気も
経営の能力もないからいいとして、現に妻である義母を排除するのはどうかといったら
親族会議で思い切り孤立してしまったw
父の最後の抵抗か、半年過ぎて病状の進行が止まり安定した。
父は自宅で最期を迎えたかったらしい。
そして義母はそれはもう甲斐甲斐しい看護をだれにも頼らず一人でこなし始めた。
寝たきりの頑固で始末に負えない年寄りの介護をたった一人でやることの大変さは筆舌に尽くせないものがある。
金はあったのにヘルパーさんを雇わなかったのは
もしかしたら親戚に何かいわれて意地になっていたのかもしれない。
俺は親族会議の件でおのれの立場を思い知ったのだが、義母からくるメールに尋常でないものを感じたので、休みの日に様子を見にいった。
義母は普段の水商売風派手目化粧も忘れ、すっかり地味になって
しかもやつれていたが、俺が出向いたことを大喜びした。
そうとうに疲れていたのだ。
介護だけでなく家事も力仕事はけっこうある。
俺はその日泊まって
介護その他を手伝い、翌週にも同じように帰省した。
ここで問題がおこった。
週末ごとに俺が泊まりにきたのでは
「介護を口実に義母が俺を引っ張り込んでむふふふ」
という誤解をあたえかねないし、親戚にはそういう目で見られることが明らかだった。
頼りになる人は一人しかいない。
不本意ながら嫁子に加勢を頼んだ。
嫁子は意外なほど父の介護を熱心にやってくれて俺も義母も感心したのだが
体を拭いたりシモの世話となると、義母が
「そんなこと嫁ちゃんには絶対にさせない!」
とさえぎっていた。
義弟夫婦もやってきた。
すでに触れたが、父の3番目の嫁の息子で俺の母と結婚していた父がこっそり外でつくっていたわけで、おれより5つ若い。
俺と違って父に可愛がられず、父のことも俺のことも嫌っているやつだ。
それでも嫁さんつれて介護にやってくる。
いやあ、男だ。
この際、義母の負担を減らすためならだれでも歓迎だった。
2番目の妻の息子とその彼女。
3番目の妻の息子とその嫁。
4番目の妻。
まるで闇鍋か蟲毒でもつくれそうな組み合わせで介護の日々は続いた。
父に対する情もありはした。
義母への好意もあった。
でも正直にいうと、俺と嫁子は2人して困難に立ち向かうシンパシーを感じていたからこそ、こんなことが何か月も続けられたのだと思う。
自宅で死にたいという父の願いはかなわず、それから5か月後に再入院し
1ヶ月もしないうちに逝った。
病院で、通夜・葬式で泣く義母は親戚の一部がいうような金目当ての女には見えなかった。
たとえ最初がそうだったとしても、金目的だけであそこまで
身を粉にして病人の介護はできないと思う。
夫婦というのは外から見ただけではわからないし、父と義母の間には情も愛もあったのだと思いたい。
葬式では嫁子がなぜか俺の隣(親族席)にいて「おとき」(葬式の後の食事)の配膳に、俺の敵(親族)と一緒に走り回っていたw
相続のゴタゴタは端折らせてもらうが、義母も俺も会社や不動産への執着はなく
特に俺は大学入学の時にどんと貰ってるので全部を放棄した。
義母はまとまった預金と有価証券を貰い揉めることなく実家から離れた。
俺と嫁には「介護料」名目でいくらかお礼が出たのでそれは貰っておいた。
俺もこの後は実家(親戚しかいないし)とは没交渉となっている。
俺と嫁子は父の介護の際から、ずっと夫婦であるかのように振る舞い
父の葬儀でもそのような扱いをうけて、決心が定まった。
嫁子は楽観的だったが、俺はそう甘くないと思っていたので
結婚資金の通帳や将来の計画など、資料を揃えて万全の態勢で
嫁子のご両親にお願いに行った。
嫁子のご両親は俺の生い立ちを聞いて困ったような顔をして、されて当然だと俺も落ち込みはしたものの、結局は結婚を許してもらえた。
返事はその場ではなく翌々日で、その間嫁子が両親説得に頑張った。
「お父さんを見習わないでほしい」
と念は押された。
俺の母は披露宴には来なかった。
「わたしが行かないほうがいいと思う。お祝いは送る。あなたの妹が生まれました」
もう、ややこしい身内が増えるのは歓迎できんw
いくつで子供産んでるんだ。
でもその妹とやらを不幸にすんなよ。
披露宴にきた俺の親族は、俺に例外的に好意的だった伯父夫婦と
「新郎の義姉」と身分詐称した義母だけで、当然ながら披露宴で紹介された俺の経歴もかなり改変されたものだった。
事情を知ってる親しい友人連中は笑いをかみ殺していた。
その後、義母は「介護に目覚めた」とかでその方面で今も仕事をしている。
化粧や身なりが介護の仕事についてからぐっとおとなしくなった。
機会を見て本気で「かあちゃん」と呼んでやろうと思っているが、まだその機会がない。
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