「なん…でだよ」
青年は狼狽していた。
目の前に広がる光景は、青年が知っているはずの世界ではなかった。
響く爆裂音、悲鳴。
動いているものは、重火器を手にしたモノアイの二足歩行ロボット。
「こんなことが…こんなことが!」
青年は物陰に隠れて機を伺っていた。
ここまで逃げてくる最中に、最愛の妻が撃たれた。
青年と同じ研究をし、青年を少年期から支え続け、心から愛していた妻は、青年の目の前で青年を庇い、死んだ。
一瞬の隙を見て、青年は研究所の避難通路から分岐するシェルターへと走る。
途中のドアロックは生体認証型だ。
ロボットには通れない。
「僕はこんなことの為に研究をしていたわけじゃない…!」
最後の扉を開けると、そこには研究所から独立したネットワークを持つ秘密研究室兼シェルターが広がっていた。
地下200メートルに設置されたその部屋は、最新の研究設備と材料が整えられた一部の上層研究者しか知らないものである。
「僕は…やらなきゃいけない。こんな未来、僕が信じていた未来じゃない!」
青年は手持ちの小型端末を研究室のコンピュータに接続し、プログラムを立ち上げる。
「アクセス認証…国立大学附属次世代ロボット研究所所長…野比のび太…認証完了。
プログラム「D-cat」始動します。」
明らかに、ロボット達はこのプログラムが入ったデータを狙っていた。
ロボット達の動きは一見無秩序な破壊行動に見えたが、青年を襲うロボット達だけは明らかに青年のみを追っていた。
「まだ…完成はしてないけど…もう時間はないんだ…」
青年は脇腹を抑えた。生暖かい感触が広がる。白衣の半分は既に赤く染まっていた。
痛みに耐えて、プログラムに現在の状況を書き込む。
「頼む…未来を…世界を…守って…く、れ…」
うずくまるように青年は倒れる。
「ドラ、え、もん…」
十数年振りに呼ぶ名前を口にして、口元を緩ませる。
最後の力でEnterキーを押す。
そして、青年の意識は遠退いた。
「のび太くん…ねぇ、のび太くん…」
既に冷たくなった体を揺するロボット。
寸胴、短足。
一見すると狸型ロボットに見えるその青い体は、寂しそうに屍に話しかけていた。
「のび太くん…返事してよ…」
ロボットの目についたサーモセンサーは人間ではあり得ない温度を示している。ロボットに内蔵されたコンピュータは死を示している。
だがロボットは無意味な行動を繰り返していた。
それはのび太がロボットに組み込んだ人間と同じ感情プログラムによるものだった。
のび太は自己学習能力と感情を持つプログラムを研究していた。
それはこのロボット…
「ドラえもん」
を生み出す為であった。
のび太が死ぬ前に起動したプログラムは、ドラえもんを起動するためのプログラムだった。
この研究室の一角にドラえもんの体があり、プログラムを起動することでのび太が研究していた人格プログラムを体に移し、ドラえもんは起動した。
喧騒は聞こえない。
どうやら上のロボット達はこの研究室の存在には気付いていないようだ。
「僕の使命は…誰の陰謀かを暴き、制止すること…」
ドラえもんは現在の状況を整理する。のび太の情報によれば、突如研究所内のロボット達が破壊活動を始めたらしい。
それは何故か。
この研究所で研究されているロボットの大半は、人間の命令に従順な、人間を助けるためのロボットである。
所長であるのび太と一部の者のみ、ロボットが自らの判断で動き学習できるプログラムを研究していた。
つまり、破壊活動をしているロボット達は誰かの命令無しに動くことは出来ないはずだ。
ならば、命令をした人間がいるはずだ。
それは誰か。
11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/05/23(土) 07:39:12.68 ID:eoZFw+HIO
ワクワクテカテカ( ・∀・)
内部の者だろうか。ロボットのプログラムは素人や外部の者に簡単に書き換えられるものではない。プログラム言語もこの研究所独自のものを使っている。
だが研究員を脅すなりして操作できればそれは突破出来る。そうなると誰でも可能になってしまう。
ロボット達はのび太のデータを目的としていたようだ。のび太の研究が何であるかは、一部の人間しか知らないはずだ。
「のび太くんの研究を知っている者は…4人。
のび太くんの奥さんである野比しずか。スポンサーでもある骨川ホールディングスCEO、骨川スネ夫。機械材料を世界各地から調達してくれるジャイアントマーケティングス取締役社長、剛田たけし。同じ研究をしていたのび太くんの第二の頭脳、出来杉英才。
しずかちゃんは死んでしまったし…残りはジャイアン、スネ夫、出来杉くんか。」
3人とものび太の古くからの友人である。のび太としずかを殺してまで、データを狙うとは考えにくいが…。
プログラムは非常に進んだ研究だった。これを悪用、転売すれば相当な金が手に入るだろう。そう考えればいくら幼なじみでもあり得ない話ではない、ということか。
「情報が足りない…」
しかし外に出るには危険過ぎる。ここにしばらく身を隠さなければいけないのは明白だった。
まずドラえもんは一週間で外に出なくても情報収集出来るようにスパイセットを開発した。
幸い研究設備に機械材料は揃っている。コンピュータであるドラえもんは演算能力も高く、また全ての論文がインプットされていた。
どうやら研究所には探査用ロボットが20体程存在しているようだ。何かを探すように蠢いている。データを探しているのだろう。
まだ危険だと判断したドラえもんは、まず武器を開発した。
材料には限りがあるため、弾薬を使わない武器である空気砲。
情報を聞き出すには人間を殺すわけにはいかないので、ショックガン。
防衛用にひらりマント。
極力見つからないように、スモールライト、石ころ帽子、隠れん棒など。
脱出用の通り抜けフープに、移動用のどこでもドア。
どれもこれも明らかにオーバーテクノロジーであり、それは世界を歪める可能性のあるものばかりだった。
それを産み出せるのが学習プログラムであり、それはかなり危険なものであった。
だからこそのび太は感情プログラムの開発に全神経を注いだ。また、その感情の規範としたのはのび太が小学生の頃未来からやって来たというドラえもん、そのものだった。
そのドラえもんはもういない。のび太が中学に入るとき、突如姿を消したのだ。未来に帰ったのだろう、と仲間は言った。だがのび太はドラえもんにもう一度会いたかった。
そして死に物狂いで勉強し、研究所を任されるほどの地位と頭脳を手に入れたのだ。
のび太の研究は、ドラえもんに再び会うためでもあった。
「準備は済んだ。ここは僕が攻める番だ。」
事件から1年が経っていた。のび太の死体は冷凍保存してある。
まず通り抜けフープで地上に出る。研究所は封鎖されているようだが、ロボット達がいるということは秘密裏に誰かが捜査しているということだろう。
ドラえもんはまず情報を集めるために、近くの電波基地局と携帯端末のネットワークを繋いだ。
インターネットでここ一年の世界の変化を調べる。
まず、この研究所で起こった事件は警察配備予定のロボットの故障として処理されていた。
ドラえもんは事件による死者のリストを見つけた。
のび太やしずかの名前などが乗っているが、同じ研究員の出来杉の名前が無かった。
出来杉について検索すると、
「奇跡の生還者!」
のニュースの他、新しい研究所の所長になったというニュースがあった。
「これは…まさか。」
話を聞きに行く必要があった。
新しい研究所の住所を元に、ドラえもんはどこでもドアで研究所へ向かった。
ロボットが世界に増えたとは言え、いきなり見ず知らずのロボットが所長を訪ねても会えるわけがない。
ドラえもんは研究所の近くからスパイセットを飛ばし、所長室を調べた。出来杉は一人のようだ。
通り抜けフープを使い、外から侵入する。
ガードロボットが多いが、スモールライトで見つからないよう所長室へ向かった。
ドアの隙間から所長室に入ると、出来杉はいた。電話をしているようだった。
「そうか、見つからないんだな。わかった。」
そう言って電話を切る。ドラえもんはスモールライトで元のサイズに戻った。
「何が見つからないんだい?出来杉くん。」
昔のように、話しかける。
出来杉は驚いて声を失っていた。
「な…ドラえ…もん?どうして…君は未来に帰ったと…それにどうやってここに」
「通り抜けフープ!スモールライト!これさえあれば見つからずに入って来れるよ。」
「君は…僕の知っているドラえもんじゃないな?」
「良くわかったね。そう、僕はのび太くんの記憶にあるドラえもんを元に作られた、新しいドラえもんだよ」
「やっぱり…そうか、完成していたんだね。」
「出来杉くん…何が見つからないんだい?何で君だけが生き延びることが出来たんだい?
質問したいことは沢山あるんだ。」
「ハハハ…もう、わかっているんだろ?」
「やっぱり…君の仕業か」
「そうだよ!僕がやったんだ!のび太くんの研究データは世界を変える力がある。
あれさえあれば世界を激変させることが出来る!地位も!名誉も!思うがままだ!」
「そんな…」
「それをのび太くんは、ドラえもんを作るためだけに使おうとしていた。
馬鹿だよ。実に馬鹿だ。僕なら有効に使える。だから奪おうとしたのさ。」
「そんなことのために昔からの友達を!」
「友達?ハハッ、僕があいつを友達と思ったことなんて一度もないさ。」
「なんだと?」
「小学生の頃は落ちこぼれで僕の足元にも及ばなかったくせに、中学では気付けば学年2位。
高校ではついに抜かされた。大学にも首席で入学。あいつが…あんなやつが僕の上に立つなんて」
「な…」
「それにね、ドラえもん。僕はしずかちゃんが好きだったんだよ。ずっとね。
だけどしずかちゃんは僕じゃなくのび太を選んだ。…この屈辱、君にわかるかい?」
「そんな…こと」
「だからあいつも殺してやったんだ!あの尻軽が!こともあろうに子供まで作りやがって!
だから腹にいる子供ごと、殺してやったんだ!」
「出来杉…君ってやつは…」
「けど見つからなかったデータがこうして来てくれたんだ。悪いけど、捕獲させてもらうよ。」
そう言うと出来杉は机にあったスイッチを押した。
警報が鳴り響く。
ドアを明けてガードロボットが押し寄せてくる。
「拘束しろ!腕や足をもいでも構わない!コンピュータには傷を残すな!」
あっという間に包囲される。
ロボットの向こうで出来杉がニヤリとしているのが見える。
ドラえもんは出来杉を睨み付ける。
「僕を甘く見ないで欲しいね。」
「ハハッ。どうかな…行け!」
出来杉の号令でロボット達が一斉にドラえもんに襲いかかる。
「ひらりマント!空気砲!」
右手に空気砲、左手にひらりマントを構える。
攻撃を全て受け流し、空気砲を一体一体に浴びせる。
銃弾も無意味だ。
「くそっ…狸のくせに…」
「僕は!」
ドン!
「猫型!」
ひらり。そして、撃つ。
「ロボットだ!」
押し寄せてくるロボットを交わしつつ、確実に空気砲を命中させる。
「のび太くんと!」
ひらりマントが破ける。銃撃が手足に集中する。しかしドラえもんは怯まない。
「しずかちゃんが作った!」
弾かれそうな手足を必死に動かし、両手に空気砲を構え、向かっていく。
「最高の!」
ドン!グシャッ!
空気砲は確実にガードロボットにダメージを与えている。
しかし、ドラえもんもかなりダメージを負っていた。
「猫型ロボットだぞっ!!」
一体、また一体と動かなくなっていく。
出来杉の顔に焦りが見え始める。
「のび太くんを!」
ドン!
「しずかちゃんを!」
グシャッ!
「子供を!」
ズドン!
「返せーっ!!」
最後の一体に至近距離で空気砲を打ち込む。
ロボットの体が凹み、機能が停止する。
「ば…馬鹿な…」
「出来杉くん」
ドラえもんが空気砲の照準を出来杉に向ける。
「僕はロボットだ。人間を殺すことはロボット三原則で禁じられている。でも。」
フラフラの足で、一歩、また一歩と出来杉に近付く。
視線はまっすぐ出来杉を捉えている。
出来杉は
「あ…あ…」
と呻くばかりで、部屋の隅から動けない。
「でも、僕には。感情プログラムがある。とても悲しくて、辛くて、苦しいんだ。」
照準を合わせたまま、ドラえもんは続ける。
出来杉との距離は2メートル程だ。
「だから、僕は君を無性に狙い撃ちたい。のび太くん達の仇を果たしたい。」
カチャ。
「だから。僕はー!」
「や、やめ…」
出来杉の顔が引きつる。
「うわぁー!!!」
ドン!
空気砲が出来杉を撃ち抜く。
出来杉を通り抜けた空気の塊は後ろの壁に穴を明けた。
出来杉は空気砲の衝撃でその穴から悲鳴を上げながら落ちた。
ここは8階だ。
空気砲の直撃と落下で、恐らく出来杉は生きていないだろう。
「この虚しさは…なんだろう…」
静かになった部屋で、空気砲をダラリと下げて空いた穴を見つめる。
お腹にある四次元ポケットから地球破壊爆弾を取り出す。
「のび太くんも、しずかちゃんもいないこんな世界なんて…いや」
頭をブンブンと振り、ドラえもんはそれをまたしまった。
「のび太くん…会いたいよ…」
騒ぎを聞き付けたのか、後ろから足音が聞こえる。
「さよなら、出来杉くん。僕に入力されたデータでは、君はのび太くんの大切な友人だった。」
人が来る前に、ドラえもんはどこでもドアで、のび太のいる研究室へ戻った。
ちなみに、プログラムを作っている最中にものび太やしずかちゃんとドラえもんはプログラム中で会話をしていました。
だからドラえもんもしずかちゃんが妊娠しているのを知ってましたし、楽しみにしていました。
説明しづらいのですが、ドラえもんの意識は前からあって、体を与えられたのがのび太が死ぬときだと思ってください。
「ちくしょう!何でなんだ!」
あれから1年が経った。
ドラえもんはのび太を生き返らせる研究に没頭していた。
しかし、それは出来なかった。
「お兄ちゃん…落ち着いて?」
助手として作った自分のコピーであるドラミが、心配そうにドラえもんを見つめる。
「これが落ち着いてなんかいられるか!僕の大切な親友で、兄弟で、親なんだぞ!」
蘇生に関する科学的な方法は全て試した。
どんな論文にも載っていない新たな術式も試した。
そのおかげでのび太は生きているかのような姿をしていた。
傷口も見えない。
「お兄ちゃん…やっぱり、無理なんだよ。人の命っていうのは、科学じゃどうにも」
「うるさい!」
ダン!キーボードを叩くドラえもん。
ドラミはびくっとして
「ごめんなさい…」
と呟く。
「やっと生まれた時に…目の前で親が死んでたんだぞ…。」
声を震わせる。
表情豊かに作られたドラえもんの目が、泣きそうに歪んだ。
「ドラミはいい…作った僕が動いてるんだから」
そう言ってドラえもんは、ヨロヨロとコールドスリープ装置に近寄る。
「僕は…どうしたらいい?のび太くん…」
のび太の側でうなだれるドラえもん。
ふと横を見ると、のび太の左手薬指に光る結婚指輪が目に入った。
「ごめんね…しずかちゃんの遺体は既に回収された後だったんだ。
あんなに仲良かったんだ、一緒にいたいだろうにね…のび太くん…ごめんよ…」
何と無しに、ドラえもんはのび太の結婚指輪を外した。プラチナの光沢が眩しい。人間が永遠の愛を誓った証だ。
「ん…?」
裏側を見ると、文字が入っていた。
「これは…何だ?」
法則性もなく並べられた英数字だった。
のび太やしずかの名前は入っていない。
「…まさか!」
一つだけ心当たりがあった。
のび太の小型端末にはパスワードのかかったフォルダがあったのだ。
指輪の文字列を入力すると、やはり認証された。
だが、認証画面はさらに続く。
「ドラえもんのナンバーを入力してください」
「僕の…数字?」
「僕には形式番号はないはずだ。それ以外で僕に関する数字と言えば…」
身長。
体重。
胴回り。
ねずみから逃げるときの時速。
「…そうか!」
ドラえもんは数値を入力した。
129.3
Enter
「認証完了」
パスワードは認証された。
そこには書きかけの論文が文書ファイルとして残されていた。
「この論文は…」
クリックして論文を開く。
そこには膨大な研究成果や数式が記されていた。
それは感情プログラムに関するものとは方向性がまるで違うものだった。
のび太は感情プログラムに集中していたはずだった。
それなのにこれだけの別の研究をしていたなんて…。
そして初めに書かれた文章を読んで、ドラえもんは絶句した。
「序文
ここに、新しい時空間に対する理論の研究について記す。
まだ理論は完成していないが、きっとプログラム「D-cat」の完成…つまり、ドラえもんがいれば完成するだろう。
僕はドラえもんに会いたいという個人的な目的から感情プログラムの研究を始めた。
だがそれにより生まれるドラえもんは新しいドラえもんであって、僕の友人であるドラえもんとは異なる存在である。
なので僕はもう一つの研究をここに記す。これは誰一人として口外していない。しずかにも。
未来へ行けば、必ずドラえもんに会えると信じて。
野比のび太」
それは、時間跳躍についての研究を記してある論文だった。
相対性理論をさらに量子力学まで発展させ、独自の理論を折り混ぜた新しい時間の捉え方が記してあった。
「これは…この理論は、間違っていない…」
自分の知りうる知識に当てはめると、理論には何の矛盾も見当たらなかった。
「のび太くんの残した研究…僕が必ず完成させる!」
ドラえもんは自分の演算能力と膨大な知識を総動員し、論文を完成させた。
ドラえもん程の頭脳を持ってしても、その理論の完成には長い月日を要した。
ドラミも献身的にドラえもんを支え、またさらなる助手としてミニドラを作り出した。
そして。
「タイムマシン」
が、完成した。
「今が変わらないなら、過去を変えればいいんだ。僕は馬鹿だなあ。どうして気づかなかったんだろう。」
タイムマシンに乗り込み、別の影響が出ないようにドラえもんが初めてのび太の部屋の机から現れた日にセットする。
「待ってろのび太くん。今会いに行くからな…!」
スイッチを押した。
目の前に黒い円形の穴が発生する。
そしてドラえもんは、過去へ向かった。
「ドラえもーん!またジャイアンに苛められたよー!ねぇ、道具貸して?」
「しょうがないなあ」
いつもと変わらない風景がそこにはあった。
平和で、でも冒険があって、幸せな毎日。
ドラえもんは幸せだった。
自分がいた未来を忘れていたわけではないが、生きているのび太とこうして親友のように過ごせる。
これこそドラえもんが望んだ毎日だった。
のび太にあの未来を見せるわけにはいかないので、バーチャルリアリティで仮の未来を作った。
のび太の冒険欲を満たすために、タイムパトロールや時空犯罪者も用意した。
その冒険や自ら生み出したオーバーテクノロジーで危険な目に会うこともあったが、のび太や仲間たちはいつでも自分達で道を切り開き、危険を乗り越えてきた。
それはドラえもんの誇りでもあった。
新しい道具は全て自分で作っていた。
未来デパートに行くフリをして、未来の研究室で作成していた。
だが、ドラえもんは不安だった。
明らかに普段ののび太はだらしない。
冒険の時は見違えるようだが、いつでもテストは瀕死状態。
先生やママに毎日のように怒られ、息をするように遅刻する。
ドラえもんが知っているのび太とは違った。
「もしかしたら僕のせいで、のび太くんは堕落してしまうんじゃないだろうかしら。僕はここにいて良いのかなあ。」
その想いは強くなり、しばらく未来に帰ることもあった。
その時はのび太が一人でジャイアンに立ち向かい、やはり安心したのだが。
来月からのび太は中学生になる。
だが相変わらずのび太はだらしないままだ。
このままではしずかとも結婚出来ないのではないか。
生まれてくるはずだった子供も、生まれて来ないのではないか。
ドラえもんはあの時生まれることなく命を落とした子供と会いたいとも思っていた。
その子供の世話を出来たら、それほど幸せなことはない、と。
ドラえもんが過去に来た目的は、あの悲惨な未来を変えるためだった。
出来杉を密かに殺すことも出来ただろう。だがあののび太の研究を誰が妬み、同じことを目論むともわからない。
出来杉に限ったことではないのだ。
ドラえもんは確かな変革も思い浮かばないままだった。
「のび太くん…」
明日から中学生になるのび太の寝顔を見て、ドラえもんは今ののび太の前から姿を消すことを決意した。
そうすればのび太もやる気を出すだろう。
あの悲劇を止めるだけなら、あの瞬間に戻って出来杉を止めればいい。
誰にも言わず、そっと。
ドラえもんは、机の中のタイムマシンに入った。
タイムマシンの様子がおかしい。
セットされた元の未来の時間から表示を動かせない。
「どうしたんだ?」
理由はわからない。理論は完璧に理解しているはずなのに、直せない。
とにかく、表示された未来に戻るしかなかった。
「仕方ない…元の未来に帰ろう。とにかくタイムマシンを直さなきゃ」
時空を越えて、ドラえもんは研究室へ戻った。
研究室に着いてから修理を試みたが、不具合は見つからない。
おかしいところは何もないようだった。
「どうしたんだ…。これじゃあのび太くんにもう会えないじゃないか。それに、歴史も変えられない…。」
タイムマシンは全く機能しなかった。
機械は正常だが、空間の穴が生じないのだ。
「まさか…」
ふと気付く。
ドラえもんが姿を消したあの日は、のび太の記録にあったドラえもんが消えた日と完全に一致している。
そして、記録によればそれからドラえもんはのび太の前に現れていない。
「歴史の、強制力なのか…?」
歴史の強制力。
歴史は過去を変えても無理矢理修復する作用を持つ。
パラレルワールドは存在しない。
それは、架空の話だったはずだ。
何の証拠も証明もない。
だが、そうとしか考えられない。
現にタイムマシンは動かない。
「未来は…変えられないのか…?」
ドラえもんは絶望した。
この未来しか存在しないのだ。
のび太も、しずかちゃんも、生まれてくるはずだった子供も、みんないない。
「そんな…僕は何のために存在しているんだ…」
動かないのび太に近寄る。
あらゆる蘇生処置を施され冷たく眠るのび太は、まるでまだ生きてるかのような、穏やかな顔をしていた。
この世界でドラえもんだけが持つオーバーテクノロジーの数々。
そして世界を歪めてしまうことの出来るタイムマシン。
これらを用いてものび太は生き返らないし、過去も変わらない。
なのに何故ドラえもんは存在しているのか。
自分はのび太のために生まれたのではなかったのか。
「そうか…僕は、存在しちゃいけないんだな。僕の存在は、今や世界や時間をいたずらに混乱させるだけなんだ。」
ドラえもんは決意した。
…悲壮な、決意だった。
自分やドラミ、ミニドラ、そしてこの研究室を、自分の手で、終わらせよう。
「ごめんよドラミ、ミニドラ達…」
悲しそうに呟くドラえもんに、ドラミやミニドラ達は笑顔で首を横に振る。
「いいのよ、お兄ちゃん。私も幸せだった。のび太さんにも会えたし、お兄ちゃんとも長い時間を過ごせた。
私は作られて…幸せだったわ」
「ドラ、ドララー!」
「みんな…」
ドラえもんの顔が情けなく歪んでゆく。
しかし、後戻りは出来ない。
いや、しないと決めたのだ。
ドラミ達のしっぽを引っ張り、機能を停止させる。
糸の切れた人形のように、一体、また一体と活動を停止した。
ドラえもんに作られ、ドラえもんやのび太達を助けたロボット達はその長い活動に終止符を打った。
端末、マザーコンピュータの全てのデータを破棄し、修復不可能なように内部メモリを破壊する。
誰にも見つからないように、研究室の入り口も破壊する。
のび太のコールドスリープも、解いた。
冷凍状態から解かれたのび太は、微笑んでいるように見えた。
―ドラえもん、お疲れさま。
―ありがとう。
そんな声が聞こえてくるようだった。
もう、ドラえもん一人だけだ。
あとは自分のしっぽを引っ張れば、全てが終わる。
「僕は幸せだ。僕を作ってくれてありがとう。」
のび太にもたれ掛かる形で、ドラえもんは自分のしっぽを引っ張った。
電子の速さで活動が終息していく。
その刹那で、ドラえもんは願った。
もし、僕みたいなロボットにも魂があるなら。
どうか天国でのび太くんやしずかちゃん、子供と一緒にさせてください。
僕の心が、プログラムだけじゃなかったら、どうか。
ねぇ
のび太くん
僕は
君を幸せにできたのかなあ?
僕は
しあ せ
だっ よ
あ り が
と
後書き
「未来の真実」
どんな物事にも、必ず始まりはある。
歴史も同様で、始まりの歴史が存在する。
仮にこれを正史と呼ぼう。
正史ではドラえもんはのび太の前に現れない。
のび太はジャイ子と結婚し、曾孫にセワシが生まれる。
正史では2112年にドラえもんが誕生する。
ロボット学校での活躍を以て、ドラえもんはセワシの世話係となる。
そしてドラえもんは、セワシの頼みで過去ののび太を変えにゆく。
ここからは私達が知るドラえもんとのび太の物語だ。
これらの物語は、航時法にそもそも違反しているのはご存知の通りだろう。
だが、過去に戻ったドラえもんとその時代ののび太は、時間犯罪者を捕らえるなどタイムパトロールに対し大きな恩を売っていた。
それに対し、タイムパトロールはのび太の人生を変えることのみ、法外的に許したのである。
タイムパトロール自身、それが大きな変革になるとは考えていなかったのだ。
だが、ある日ドラえもんは故障した。
ドラミによれば、予備電源である耳がないため、修理すると今までの記憶が無くなってしまうという。
のび太は悩み、自分で直すことを決意した。
そしてしずかと結婚したのび太は、長い月日をかけてドラえもんを直し、さらには作れるほどの頭脳と技術を取得した。
しかし、これは2112年にドラえもんが生まれたという正史から何十年も前のことである。
そう、歴史は分岐してしまったのだ。
そして分岐した未来は正史を遥かに越える文明を築き上げた。
分岐した未来は、パラレルワールドの壁を越える技術まで生み出した。
そして正史を自らのものにし、自らを正史にしようとした。
正史の人々は恐怖した。
分岐した未来は自分達の技術を遥かに超えている。
成すすべもなく正史は分岐した未来に侵食されていった。
正史の人々は過去を変えようとした。
正史は歴史の分岐点である、のび太を殺すことを選ぶ。
のび太さえいなければ、分岐した未来のような技術が発達することはないと考えたのだ。
正史がその姿のまま過去に直接関与することは、ドラえもんの例から見てもまた新たな歪みを生む可能性がある。
そこで正史はのび太を妬んでいた出来杉に目をつける。
そして出来杉を上手く扇動し、のび太を亡き者とすることが出来た。
しかし今度はドラえもんが現れた。
ドラえもんはのび太以上に技術を進化させた。
ドラえもんはその技術を悪用したり広める気はなかったが、正史はドラえもんがのび太を救うことを恐れた。
そして時空間に干渉し、ドラえもんがタイムマシンで時空の穴を開けることを防いだのだ。
これにより新しい未来は一つに収束した。
だが、一度生まれた未来はパラレルワールドとして存在し続けた。
過去を変えても新しい未来が生まれるだけだったのである。
「のび太と魔界大冒険」
のもしもボックスで生まれた魔法世界もそうだ。
「のび太と雲の王国」
で大洪水により滅んだ地上もまた、パラレルワールドの一部だ。
最終的に正史は分岐した未来を消すことは出来なかった。
そして正史は分岐した未来に抗えずに、全て飲み込まれてしまう。
奇しくもそれは、のび太もしずかも生き延びて、子供もドラえもんも存在した未来であった。
その先の未来がどうであろうと、のび太やしずか、ドラえもんは幸せに生き、そして幸せに人生を終えていった。
未来に翻弄された彼らが幸福な人生を終えたことが正史となった。
しかし本当の正史に生きた人々は、存在を消されてしまった。
個人の幸せか。
全体の未来か。
そのどちらが正しいのかはわからない。
だがのび太やドラえもんに幸せな未来が訪れる世界も存在するというのは、一つの救いではあるのだろう。
彼らは、どこかできっと笑っているはずだ。
―END―
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