俺は産まれてすぐ施設に入れられた。
親は893とその愛人
俺が2歳の時、両親が事故に遭い育児困難という家庭の子が来た。
その子はまだ1歳。
A君とします。
毎晩毎晩パパママって泣いてたのを覚えてる。
半年後に両親が元気になったからと言って引き取られて行った。
乳児院にいる子は半分は親元に帰り、残りは養護施設にスライド進級
A君が居なくなっても何も感じなかったんだけど、A君の母親から手紙やプレゼントが届く様になった
俺とA君を担当してた先生が一緒だったからって理由らしい
自分の名前宛にくる手紙ってその人からだけだったから、とにかく嬉しかった
季節の挨拶や年賀状くらいだったけど、ずっと続いて、小学生に上がったら一緒に旅行とかも連れて行ってくれた
A君父の転勤で遠くに引っ越しして、なかなか会えなくなってしまったが、小6の時には1人で電車に乗ってA一家で夏休みを過ごさせて貰ったりもした
中学に入ってからも遊びに行って、A家近所の畑で野菜泥してA君母に2人でケツバットくらい、夏休み一杯畑の手伝いさせられたりとか
A君一家のおかげで本当に沢山の経験をさせて貰った
高校生になって、俺は医療の勉強がしたかったので国立の大学を受けた
見事に落ちて絶望した。
4月には施設を出て行かなきゃいけない。
施設が手配できるアパートは既に満室
進学を諦めたくないが
寮つきで学費稼ぐだけの収入を得る為には、勉強する時間がなくなる
合否の確認の電話をしてくれたA君母に
俺は以上の内容を泣きながら愚痴ってしまった
とにかくお金を稼ぐしか…と思っていたら
A君母「じゃあウチに来てウチから塾通って勉強しなよ!Aもちょうど来年受験だし!グッドタイミング〜〜」
えっえっと言ってる間にA君父がミニバンで迎えに来てくれて、少ない荷物積んでそのままお世話になる事に
田舎の広い家で、この辺(障子開けはなしたら20畳以上)自由に使っていいからw
って言われ
塾は何科目とる?
と初めての塾通いも決まって
自分は今他人の人生に感覚を奪われてるんじゃないかって
不思議な感じがしばらく続いた
あと、俺個人を県外まで遊びに連れ出す。
とかの手続きも色々面倒だったみたいです
最後に書こうと思ってましたが、A両親は俺を養子にと考えてくれていたそうです
遊びに行けてたのは里親研修?などの制度を利用したのではないかと
A一家のおかげで、去年評定Eの所に合格することが出来ました
A君も北の大地の大学に合格が決まって、みんなでお祝いをしました
その時、A両親から
俺を養子にしたかったが、俺親が親権を離さない&2人揃って塀の中な為、親族に警察がいるA家では難しかった
と打ち明けられました
それでも俺を実の子供と思っている
と言われ、1年度+寮費を払ってもお釣りがくるくらいのお金を渡されました
いつか俺くんが養子になった時の為に貯めていた。
半分塾代になってしまってゴメンね。
と...
泣きながら受けとらせて貰った
出来れば入学式に出席して欲しいとお願いしたら、A君と時期がズレてるからOKと快諾を頂けた
初めての保護者参加みたいでドキドキするけど、凄く嬉しい
本当に本当に本当にありがとうございます
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