うちの嫁は、子どもころから予知夢を見ていたらしい、それは自分に関係する身近なことだけで
夢のとおりに行動すればいい事もあれば、悪い事にもなって警告なのか幸運を告げるものなのか
わからない時もあるらしい。
漠然と、将来のワンシーンを見るだけのこともあるらしい。
嫁の祖母(母方)もそうだったようで、祖母が最後に見た予知夢は出産前で、自宅の縁側で小さな女の子と子猫と一緒に日向ぼっこをしている夢だったらしく、出産後は予知夢を見なくなったそうだ。
うちの嫁も出産後に見なくなったと言っていた。
嫁が始めて予知夢と自覚したものを見たのは小学校に入る前らしく、そのころは家庭の事情で祖母の家に預けられていたそうだ。
近所に同年代の子どもがいなくて寂しい日々を送っていたらしく、ある時夢で祖母家の裏の雑木林の中で白い子猫を見つける夢を見たそうだ。
翌日その夢が気になって裏の雑木林に入ると段ボール箱に白い子猫がいて、他にも子猫がいたそうだが野犬か何かに噛み殺されていたらしい。
嫁は子猫を連れ帰って、縁側で日に当たりながら、子猫の汚れを拭いてあげていると
祖母が帰ってきて
「ああ、夢のとおりになったね」
って言ったそうな
それから祖母に予知夢についていろいろ聞いて、他の人には言わないようにと釘をさされたそうだ。
なんでも祖母は子どものころに予知夢のことを親に話すと、いつの間にか近所に知れ渡っていて、そのうち大金積んで株の相場とかボートレースの結果を夢で見てくれと、何人もの大人たちが家に来たそうで、そんな都合よく予知夢を見れるわけないので、詐欺師呼ばわりされたりしてつらい経験をしたことがあったようだ。
それで、嫁が予知夢を見ることができていたのを知っているのは、すでに亡くなった祖母と俺だけになっている。
嫁の母親は予知夢を見ないようだ
嫁が祖母の家に預けられていた理由は、父親の家業の借金が原因のようで、その借金も嫁の予知夢で返すことができたそうだ。
夢の中で行ったことのない町のタバコ屋さんで宝くじを買う夢だったらしい、数日後、母親が友人の家にお金を借りに行くとき、一緒について行かされたらしいのだが、駅前にあったタバコ屋さんが夢でみたタバコ屋さんでお金を借りた帰りに宝くじを買うことを勧めてみると、母親は5枚買ってそれが1億円当ってたらしく、借金地獄から脱出できて家業も持ち返したそうだ。
本当は嫁の予知夢のおかげなんだけど、嫁母は嫁父と嫁父の実家から幸運の女神として大切にされるようになって、嫁も一緒に家族で暮らせるようになったそうな。
そんな嫁が、中学に入ったころから同じ夢を定期的にみるようになったそうで、それが見たこともないおっさんと二人で海辺の公園を散歩しているものだったそうだ。
最初は親戚のおじさんかな?と思っていたけど、何度も見てゆくうちに、それが将来の夢で自分の結婚相手だとわかったらしい。
夢を見ている間はとても幸せな気分に満たされていて、目が覚めると「なんで、あんなおっさんと!?」と落胆していたらしい。
そして高校生になると、そのおっさんに抱かれている夢を見るようになって、やっぱり夢を見ている間は、そのおっさんのことが好きで好きでたまらなかったようだ。
そして未経験なのに夢の中で絶頂を迎え、夢と同時に肉体も絶頂を迎えて目を覚まし、毎回「なんで、あんなおっさんと?」と落胆していたらしい。
大学生になったころには、さらに進んで、おなかが大きくなった自分とおっさんが手をつないで海辺の公園を歩く夢をみるようになったらしく、夢の中では幸せでいっぱいだったらしい。
そのころには夢で見るおっさんに嫌悪感を持たなくなっていて、自分を幸せにしてくれる人として会える日を楽しみにしてたらしい。
で、そのおっさんとは俺のことで、結婚後に話してくれた。
嫁と初めて会ったのは、俺が37歳で嫁が26歳のときだった、俺は夏場の夕暮れの少し生暖かい風に当たりながら海辺の歩くのが好きだったので、近くの海辺の公園を散歩していた。
ある時、散歩していると数メートル先に女性が立っていて、目を見開いて口をあんぐりとあけて俺のほうを見ていた。
俺は「なんだ、こいつ?」と思って距離を開けながら前を通っていったのだが、ずっと俺の方を見ていて、無視して通り過ぎて行って、しばらくして振り返ると、まだ俺を見ていた。
本当はUターンしてその道を帰るのだが気持ち悪くて、住宅街の中を通って遠回りで帰った。
それから数日してまた海辺の公園に散歩しに行った。
そして「そういや、この先にあの変な女がいたな〜」と思い出していると、ベンチに座っている女の人影が見えた。
「あれ?まさか?」と思っているとその人影はスッと立ち上がってこっちに向き直った。
「ヤバイ!」と思った俺は踵を反して急いで帰った。
この時の俺の頭の中は「泉の広場の赤い服の女」連想されていて、マジでびびっていた。
実はこのとき嫁も「ヤバイ!変質者と思われてる!」と思ったらしい。
その後、俺は散歩をひかえてたんだけど、近所の小学校で地区の盆踊りがあった時、俺は屋台のおでんを買いに行った。
グラウンドの遊具に腰掛けておでんを食べていると、
「なんかうれしそうに食べますね?」
と声をかけてきたのが浴衣を着た嫁だった。
若い女性に声をかけられたのと、おでん好きが顔に出てたのかと思うと恥ずかしくてドギマギしていると、
「公園で待ち伏せしていたのは私です。驚かせてごめんなさい」
と言われた。
そのときの嫁の説明は、知人にそっくりだったのでびっくりしてしまった事、もう一回会って確認したかったから待ってたと言われた。
「他人のそら似でした」
とにこやかに言われた。
それで安心して散歩を再開しだすと、嫁も同じ時間帯に散歩してたので、一緒に散歩するようになった。
嫁は転勤で近くに引っ越てきていた。
あとで聞いた話によると、たまたま嫁もご近所散策で公園に来たとき
夢で見た公園と似ていると思っていたら、夢で見ていたおっさんが歩いてきたからびっくりして固まってしまったそうだ。
秋になっても二人の散歩は続いて、嫁のアパート近くのコンビニで待ち合わせをして、散歩のあとコンビにまで送って帰る日課が続いた。
女っ気のない人生を送ってきた俺は、すぐに恋におちて交際を申し込んだ。
交際して1年後に結婚した。
結婚してすぐに嫁から予知夢について知らされ、
「本当は中学のころから俺の顔を知ってた」
と言われたときには、引いてしまった。
でも、俺は幸せな毎日を送ることができていると思う。
去年に娘も生まれて、嫁の夢の通りになったわけだが
でもこの間の土曜日に、嫁からショッキングな告白と出産前に見た予知夢について話された。
その日は、俺が娘を面倒みるので、嫁に一日遊ばせてあげる約束をしていた。
夕方、嫁は思いのほか早く帰ってきた。
帰ってくるや嫁は泣きながら土下座した。
どうしたのか聞くと、嫁は浮気をしてしまったと言う。
どういうことか問いただすと、1ヶ月前に車の前輪を路肩の水路に落としてしまい、困っているところを男性に助けてもらった。
それから数日前にイ○ンで買い物をした帰りに、イ○ン内にある映画館の上映スケジュールを確認していると、声をかけてきた男性がいて
その男性が一か月前に助けてくれた人だったそうだ。
そのとき映画鑑賞がお互いに趣味だとわかって、そのままイ○ンのカフェで映画の話をして、次の土曜日に、俺が娘を見ていてくれることになってたから、一緒に映画を見る約束をしてしまったそうだ。
そして土曜日に映画を見た後、二人で食事をして話していると、すごく心がときめいてしまった。
それに気が付いた時、俺に内緒でこんなことしている自分が恥ずかしくなってその場を去ったらしい、でもまっすぐ家に帰れなくて、しばらく当てもなく車を運転していたそうだ。
断じて肉体関係もなければ手もつないでいないと言う。
おれは内心、浮気とは言いがたいし、黙っていればいいのにと思ったが、彼女の良心がとがめたか、誰かに見られたのかな?と思った。
でも何も言えず娘を抱いたまま固まっていると、嫁は続けて言い出した。
実は結婚してから娘を妊娠するまで繰り返し見続けてた夢があると
それは、その男性に心をときめかせていた夢だった。
そしてその夢を見た数日後には、赤ちゃんを抱いている俺に自分が泣きながら許しを請う夢を見て、その数日後に赤ちゃんと自分をおいて俺がいなくなる夢だったらしい。
そして何度か繰り返して夢を見ることで、嫁は自分が浮気をして、その男の子どもを産んで
それが俺にバレて、俺が娘と自分のもとから去ってゆくと解釈したらしい。
それで、これは警告の夢だと思い、近づく男性には気をつけ自分も他の男性に目を向けないようにしていたらしい。そして俺との間に娘ができて、危機を回避できたと安心していたらしいのだが、昨日、男性と食事をしていて心がときめいた瞬間
「あの夢だ!」と思い出したそうだ。
そしてこのまま続けていたなら
俺が去ってゆく夢のとおりになると思ったそうだ。
嫁は
「許してほしい、捨てないでほしい」
って泣いてた。
俺は
「大丈夫だよ、捨てないし、許すもなにも浮気にならないよ」
って言ってるんだけど、嫁としては夢のとおりに事が進んでいるので気が気じゃないみたい。
ここ数日ずっと謝ってくる。
大丈夫っていって慰めてるんだけどね。
でも最後の俺が嫁と娘を残して去ってゆく夢は、もうすぐ現実になることを俺は理解しているんだ。
嫁の予知夢って本当だったんだなと思ったよ。
俺、癌だってさ。
あと一年持つかどうかだって、今後のことを家族と話し合うようにと医者に言われてたんだけど、どのタイミングで嫁に言うべきか迷うな。
今話すと嫁は壊れちゃうかもしれないんだよね。
俺が病気で苦しんでいる間に自分はよその男にときめいてたって。
自分を責めそうな気がする。
あと、わざわざ予知夢でその男を見るって事は、俺の死後、娘と嫁を支えてくれる人なのかな?
と俺なりに解釈している。
でも複雑な気持ちだな。
男の事は知らないまま死にたかったな
ついこの間まで、娘が学校に上がった時のことや、娘の結婚のこととか、嫁との老後とか漠然だけど考えていたけど、俺のはただの夢で終わるのかと思うとつらいな〜
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体験談:俺は小1の時に、知的障害の疑い [衝撃]
俺は小1の時に、知的障害の疑いで、もう少しで養護学校に編入になるところだったと
最近母ちゃんに聞かされて、地味にビックリしたw
いや、頭そんなに良くないけど
そこまでの事はないだろ〜?と思ったが、俺は朝登校すると、妙にテンション高く
歌ったり走り回ったり、友達に抱き付いて絡んだり。
1時間目の授業中は声高にお喋りしまくり
先生にどんなに怒られてもヘラヘラ笑って立ち歩き、歌ったり踊ったり
2時間目あたりになると一転、グーグー寝ちまう。
昼頃起きて、ボンヤリと昼食を食べ、午後はボーッとしつつも割と普通
しかし、頭が痛いと言って保健室行きになる事もしばしばあったそうで、担任は、この子は本気でおかしい、何か障害があると思ったが
入学前の検査みたいのにはそんな所見無しだったそうで首を捻ったそうだ
家庭訪問して親と話し合い、もし必要なら養護へ、とまで話が進んだところで原因がわかった。
当時存命だった爺ちゃんが、小学校入学した俺に景気付けようと爺ちゃん秘伝の薬用酒をおチョコに1杯、毎朝俺に飲ませてたんだ
その辺はうっすら覚えてる。
甘くて酸っぱくて、ドロンとしてて、微妙に美味かったw
何が入ってたんだよ爺ちゃん‥‥要するに俺は毎朝酔っ払って登校してたんだな
爺ちゃんが、両親と担任に凄く怒られて、部屋の隅っこで丸くなってて
可哀想だな〜と思ったのも、何となく覚えてるw
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体験談:新入社員を二名、教育係として担当しました。 [感動]
私がまだ三十代の頃、新入社員を二名、教育係として担当しました。
簡単にAとBとします。
どちらも調子のいい男で、給料日の後には揃って
「先輩なんかおごって下さいよ!」
などと言ってきて夕飯を付き合わされましたが、私も初めて後輩を直接に指導したので
可愛くて仕方なく、月に二度ほど夕食や酒をおごる日々が続きました。
翌年、忘れもしません五月の末の、よく晴れた日のことです。
その年には私の部署に新しい社員の補充がなかったため、月に一度くらいの頻度ですが
まだ先輩のおごり夕食は続いておりました。
ところが私が朝から腹の具合が悪く、若者たちの喜ぶようなガッツリとした食事は避けたい気持ちだったため、おごり要求が来たものの別の日に、と断ろうとしました。
するとAが、先輩に合わせますよ、と言います。
Bも、たまには先輩の行きたいとこ行きましょうよ、などと調子を合わせます。
ひょっとすると、後日となったら来月あたりまでおごりを飛ばされると思ったのかも知れません。
本当に調子のいいヤツらなんです。
そこで私は、少し値は張りますが、とても優しい味の和食を出す小料理屋に連れて行きました。
その店は私も先輩から教えていただき、たまのご褒美に焼き魚や煮物をアテに酒を愉しむ
小さいけれど居心地のいい店です。
ご夫婦で営まれており、その頃、すでに五十代後半の旦那様がお料理を、奥様が接客をされていました。
私はまだ腹の具合が落ち着かなかったので、焼き魚定食のご飯小盛りを。
Bは刺身だったかな? Aは鯖の味噌煮定食を頼みました。
そこの定食は、メインのおかず以外にも煮物や小鉢が豊富で、どれも出汁のきいた薄味です。
若者の口に合うかな、と不安でしたが、二人ともご飯をおかわりする勢いで食べてくれました。
それからまたしばらく経ったある日のこと、私が一人で当の小料理屋へ行くとAがカウンターに座っておりました。
聞けば、あの後、一人で何度も通っているとのこと。
私と一緒に行った日に食べた鯖の味噌煮が、Aの亡くなった祖母の味とそっくりだったため
懐かしくなり、酒は頼まず定食だけを食べに来ていたのだそうです。
店のご夫婦ともすっかり仲良くなったようで、それからも度々、彼を店で見かけました。
二年後、Aは会社を退職し、その小料理屋で働き始めました。
やがて調理師の資格をとるために学校へも通い、私とBが店に行くと、定食に小鉢をおまけしてくれたりするようになりました。
Aはそれまで料理などほとんどしたことがなかったはずです。
けれどもその頃には店のご主人が太鼓判を押すほど腕を上げておりました。
過日、その店のご主人が体調を崩され、Aに店を譲って隠居する運びとなりました。
店はしばらく休んでいたのですが、今夜、私とB、ほかに常連さんや店のご夫婦のお知り合いなどを呼んで、ちょっとした引き継ぎ式のような席を設けます。
週末には、Aが初めて主人として、引き継いだ小料理屋の厨房に立ちます。
十年ほど前に結婚したAの奥様が、まだお元気な先代の奥様に手伝っていただきながら接客をされるそうです。
Aの言った
「あの日、先輩が腹を壊していてくれて良かったです」
という、冗談なのか
よくわからない言葉が思い出されます。
調子のいい、口のよく回るところはジジイに片足を突っ込んだ今も変わっておりません。
きっと、良い店主になるでしょう。
本当に、人の縁、人生の転機というものは予想が付かないものだと考えさせられます。
今夜は鯖の味噌煮を出してくれるとのこと。楽しんで来たいと思います。
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