出会った当時(朝ドラがふたりっ子あたりの時代)
俺 22歳 ブサチビ 入社半年で親会社へ出向で西日本の端から東日本の中間へ
嫁 25歳 食堂の管理部門勤務5年目 地元育ち
ドライブやテニスをしたいと思っていたので、その相手ができればいいなあとお見合いパーティー(お友達探し、今でいう婚活パーティの安価版)に参加した。
カップリング発表前に主催者側から呼び出し、
「今のところ不成立だがあなたの希望以外の女性の希望が入ってる。
成立にすることもできるがどうしますか(会の成立率upの為だろと思った)」
の確認があり、まずは話聞くだけでもいいやと思い承諾。
お開きのあとは、すぐ近くで食事しながら職業や参加目的などと話す。
その時は、連絡先(固定電話:宅電)を交わして、お別れ。
容姿だが、顔は、森口瑤子の目を小さく、細くして、鼻を低くした感じで普通だし、体系は中肉中背、中盛で俺の中では好み。
よって、付き合いが続くかどうかは会話しだいかなと思った。
月2回のペースで観光地巡りに付き合ってもらった。
4回目に告白、AB。
6回目にホテルでABC(古っ)。
俺は素人経験0,嫁は前彼有。
俺が寮母さん付社員寮だったため、まったりするのは、もっぱら車内か、一人暮らしの嫁宅だった。
まあ、観光地巡りが終わったあとは、お散歩や、スキーに行ったりの平凡な中に、嫁実家(同市内)で挨拶して、外堀埋められたりしてた。
1年をすぎたころ、結婚を考えだしたのだが、壁となるのが俺両親だ。
もろ保守的なので、予想できる嫁のダメな条件に、年上、キャリア積んでる女、県外、釣り合わない(=遠くてわからない)家柄が考えられた。
これらをつぶしていく必要があったので、盆暮れ正月の帰省時には赴任地から連れてくるかも的な話から始めた。まあ、それだけでもダメ出しくらったが。
遠くだと聞き合わせができないとか、年上やキャリアの女は生意気だとか。
俺実家は戦中までは田舎の名士だったらしいが、今や田舎の商店を兼業している一般人。
見栄張りすぎ。
なかなか、俺両親の軟化が見られないなか、3年目を迎えるときに、出向解除で西日本へ戻ることになった。
まだ、連れていける状態ではないが、別れるわけにもいかず、遠距離恋愛をしながら、結婚OKになったら呼ぶことにした。
嫁が結婚したら今の職は辞めて転居してくれることは話がついていた。
遠距離になってからは、嫁の不安感が高まり、電話の時間が増えた。
また、土日に宅電でつながらないと留守電に不安をぶちまける。
留守録のカセットテープが2日で一杯になっていた。
そこで携帯電話(セルラーホンだったか。)を買い、不通の時間を減らした。
今なら、skypeもあるし、メールもある。
しかし、パソコンはまだPC-98,DOS-V,Win3.5,Win95の時代,
通信環境はメタル線のみの時代で普及していない。
嫁はワープロ(文豪mini)を操っていた。
手段は通話と手紙だけだ。
会えるのは、3連休以上の休みがある月くらいで年4回だった。
俺の住居は転勤後も相変わらず社員寮だったがこちらは1Kアパートなので1/4回は嫁が来て泊って行った。
遠距離で1年過ごしたころから、嫁は俺親にいつ会えるのかと言い出した。
嫁は不安を嫁親や嫁友に漏らしていて、中にはFOを狙ってるというやつがいて、その確認に俺親にまず会えと教わったそうだ。
別に俺親に合わせるのはいいが、反応はわかっていて、門前払いか罵声を浴びせるかだ。
これまで親戚付き合いで毒の吐合を見てきている。
外面はいいが、内輪もめがひどい。ただのお客さんならそれなりにもてなすが、嫁になるとなればひどい対応になるのは目に見えている。
その点は転勤になる前から説明をしていてある程度地ならししてから会わせると言ってきた。
でも、この段階ではFOするか、エネ男と思われていたのだろう。
嫁は渡鬼系の番組は見ない上に、嫁周辺親戚の争いを見聞きしていない。
自分は後ろめたいことはしていないので、理不尽な反対されるはずがないと思っている。
結局、お盆休みに俺実家凸した。
結果、俺父:会わず。
俺母:俺父の拒否があり、外で会うということで喫茶店で会う。
俺母にしては、冷静に対応した。
しかし、話の内容は遠くに嫁にくるのは大変だ、田舎のことを知らないとやっていけない、自宅から職場に通えるのに一人暮らしなんてありえない(これは予想外)、俺がまだ年上の女房もらわなくていもいい若さ等を語り、嫁がそれに論破を試みるものだった。
俺は俺母が空想でディスりだしたときの歯止めと嫁のフォロー、俺嫁二人へのことへの対応に終始した。
結局、話し合いは決裂して終わった。
嫁を空港に送る途中で、反対の理由はあってないようなもので、初回から解決できる段階ではない。
これからも説得つづけるから、嫁も頑張ってほしいと話した。
しかし、実際に反対されていることを目の当たりにしてのショックは大きかった。
嫁が帰った後、数週間後に嫁母から結婚できるのかの心配と反対内容に対する抗議の手紙が来たことからもわかった。
手紙に対しては、丁寧に返信した。
それから3か月くらいした頃から、嫁からの電話が激増した。
しかも、昼休みでもない勤務時間帯にかけてくる。
通話できるはずもなく、休憩時間か定時後にかけることになるのだが、
嫁は仕事の切れ目に隠れてかけているらしい。
3週間くらい経つと携帯で着信後、会社へ電話してきた。
内容は、どうしてあんなことをいわれなければいけないのか、遠くから嫁に来てくれる人にいう言葉ではない、家を侮辱された。
という内容で凸後ずっと、言っていることである。
回数も増えて来たところで、俺が不在の時に上司の主任がかけてはいけないと諭してくれたが、収まらず、きつめの口調の先輩が苦情を言って会社にかけるのは収まった。
その先輩が受けた印象として、本来、業務中無視するのが正しいが、どうも精神的に参っている節があるから、とりあえず出て一言二言話して切るようにしろ。
と配慮してくれた。
ただ、携帯通話料金、宅電通話料金が高額で、借金するまでになってしまった。
その後も、俺実家に説得、嫁に説明を続けていたが、嫁が収まりつかなくなってきたので、嫁の地元で入籍し結婚生活を始めることにした。
退職することを伝えたことで、嫁も少し安心し電話も減った。
俺実家にも伝え、帰省日、出発日を決めた。
弟には、後を託してしまうことを謝った。
会社にも退職届を提出した。転属の道も探ってくれたが、迷惑が掛かるため辞退した。
こうして、ちょうど3年間務めた会社を退職した。
退職後、東日本に新居となるアパートを借り、入籍した。
結婚式は、同居してから計画し進めた。
嫁近親と数人の嫁友だけを招いての挙式と食事会となった。
新婚旅行は、嫁親戚も参加しての国内パックツアーだった。
その後だが、俺の就職は、かなり苦労した。
正社員は難しく、工場派遣でしのぐも最初の半年は職場への電話が続き、1回打ち切られた。
派遣とアルバイトの掛け持ちやブラック企業の正社員を経て6年後、念願の工業系の正社員となって、今に至る。
まあ、同居してよかったのは、一緒いれば、嫁も安心してるのと、不安要素に早期に対処できること。
高齢出産なる前に子供二人作れたこと。
目下、嫁の安心が俺の安心であり、嫁と子供の幸せが俺の、幸せだ。
嫁も一人目妊娠で産休、二人目妊娠を機に退職でき、外圧が減ったことが心の安定に効果大。
嫁がアルバイトを始めたので、無事を祈って。
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1 . 名無しさん ID:oCTsW3SB0 : 編集:削除
マザコン男キモい
※1
読解力のないオマエがキモい
読解力のないオマエがキモい
親に対して弱すぎて、イライラするなこの男。
印象として言い訳多そう。
嫁が壊れそうになるまで、ほっておくか?普通。
あと、俺なら別に会社辞めずに、嫁を地元に呼んで親と絶縁するが。。
会社やめる意味がわからない。
印象として言い訳多そう。
嫁が壊れそうになるまで、ほっておくか?普通。
あと、俺なら別に会社辞めずに、嫁を地元に呼んで親と絶縁するが。。
会社やめる意味がわからない。
この嫁は旦那両親に感謝した方が良い。
両親を見て育って著しく結婚生活へのハードルが下がったからこんな嫁に耐えられたんだと思う。
両親を見て育って著しく結婚生活へのハードルが下がったからこんな嫁に耐えられたんだと思う。
※3
同意
そんな親だとわかっていながら何十年かかるかもわからない説得を試みるアホ
そりゃ再就職も決まらんわ
同意
そんな親だとわかっていながら何十年かかるかもわからない説得を試みるアホ
そりゃ再就職も決まらんわ
情けない男だったけど何とかなったって話だよね。
情けない男の話
以上 結婚話どころか女と付き合ったこともないDT達でした
森口瑤子の目を小さく、細くして、鼻を低くした感じ・・・で普通
普通じゃないだろ・・・?w ^^;
普通じゃないだろ・・・?w ^^;
いや、嫁が明らかに精神ヤバイだろ
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